ケーススタディー
川崎市建築局職員の公務災害認定を勝ち取りました(弁護士 篠原義仁)
2017年4月25日 火曜日
市営住宅及び小中学校校舎の建築に当り、設計、施工、監督業務で建築現場に立合った川崎市職員が、認定申請後、約1年半の審査を経て、公務災害の認定を受けるに至った解決事例をご紹介します。
1 アスベスト被害で死亡
平成25年3月24日に川崎市建築局職員(主幹、建築対策室長経験の幹部職員)が死亡し、相続人間の遺産分割協議が整わず、同年10月にその遺産分割協議の調停事件を担当することとなりました。
その調停手続の過程で、その幹部職員は昭和23年から昭和57年まで建築畑一筋に勤務していたことがわかりました。住宅課時代は市営住宅の新築、建替業務に、営繕第1課、第2課時代には、川崎市立の主に小中学校の新築、建替業務に、そののち、再び住宅課、街区建築課で建物建替業務に従事していました。そして、退職後30年余を経過して、平成25年2月に呼吸困難に襲われ、同年2月14日に初診、3月14日に死亡したという経緯がわかりました。病名を尋ねたところ、「中皮腫」と診断されたということでした。
この公務災害について、認定申請実務、地方公務員災害補償基金川崎支部への申入、交渉へ協力して、認定作業のお手伝いをすることになりました。
認定請求は、諸資料の収集等の準備手続を経て、平成26年9月12日にこれを行い、平成28年4月8日に至り、公務災害の認定を受けるに至ったのです。
2 アスベスト被害を示唆する診断書
平成26年7月9日に公務災害申請用の診断書を取りましたが、診断書の記載は、次のようになっていました。
問診所見としては「労作時呼吸困難と咳嚇」が認められ、検査所見としては「右胸水貯留。胸膜肥厚。CTガイド下胸膜生検で悪性胸膜中皮腫」と所見され、傷病名は「悪性胸膜中皮腫」と診断されました。
災害発生日は「不詳」で、症状、治療の経過としては、診断日が2月14日で、「平成25年2月18日から2月20日まで入院し、胸水の検査を行い、悪性胸水が疑われた。平成25年2月27日再入院し、CTガイド下胸膜生検を行って、悪性胸膜中皮腫と診断した。高齢であるため胸水トレーナーで緩和的に治療した」が、「3月24日に永眠した」というものです。
つまり、建築現場での業務に長年従事したのち、退職し、長期間経過した時点で高齢発症し(但し、発症時期は不明)、自覚症状を訴えて治療を開始したが、初診時からみて極めて短期のうちに死亡するに至った事例となっているのです。
そして、診断書は「石綿の曝露歴があれば、本症と関連があると考えられる」と発症原因を記載し、アスベスト被害を示唆しました。
3 職歴とアスベスト曝露
これをうけて、次に、アスベストの曝露歴、すなわち職歴が問題となりました。しかし、申請人(相続人)は、被災者(被相続人)が川崎市の建築局に長年勤めていたことは知っていたものの、詳しい職歴は知らず、その職歴のなかで建築現場や建築解体現場でアスベストに曝露されていたか全くわからず、建築局の元幹部であったことを基礎に川崎市当局にその職歴紹介を行いました。
その職歴は、さすが行政というか、昭和23年以降の職歴(経歴)が明示され、同年以降昭和45年までの間、「市営住宅及び分譲住宅の建築工事の設計、施行、監督業務」、「計画建売住宅」や「住宅地区改良事業」とか、「学校建築工事」の「設計、施行、監督業務」を行い、各種建築現場の業務に従事していたことが把握されました。
また、昭和45年から昭和48年については、学校の営繕や住宅の建設業務に関わっていたことまでは抽象的に把握できましたが、設計、施行、監督業務といった具体的な業務内容の把握は、川崎市当局の調査でも不明でした。
昭和48年以降の業務は、デスクワーク中心なのか、現場業務に関わったのか、詳細は不明で、但し、市街地再開発事業、旧防災建築街区造成法関連の業務、川崎市耐火建築助成業務等に関わったことまでは把握できたのですが、それ以上の詳細は不明でした。
4 川崎市基金支部との交渉、そして認定へ
以上をふまえて、川崎市基金支部と交渉を進め、被災者は、市の職員で通常の社会生活、日常生活でアスベストに曝露される環境にはなく、前述した職歴のなかで、すなわち建築現場の業務に従事したなかで、アスベストに曝露した以外にその曝露歴は考えようもなく、従って、速やかに公務災害の認定を行うこと、あるいは、それ以上具体的な曝露歴を要求するのであれば、基金支部として川崎市建築局(現在はまちづくり局)に調査依頼し、川崎市としては、川崎市の市営住宅の建築年度(建替を含む)、市立学校の建築年度(同)については、調査可能であり、それと被災者の職歴を対応させ、具体的に建築現場を特定し、アスベスト曝露の可能性を照合すべきであると要請しました。
そうして、その後、基金支部に対し、その調査はどうなった、どうなったとつめつづけてきましたが、1年余たった(この間の基金支部の回答は「詳細は言えないが、本部にあげて意見調整中」「稟議にあげているところ」というもの)、平成28年4月8日、「災害発生年月日 平成25年2月18日」「傷病名 悪性胸膜中皮腫」ということで、「公務上の災害」として認定通知を得ることができました。
被災者遺族(相続人)の真相究明の真摯な取組みが、この認定に連なってゆきました。
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