ケーススタディー

2021年8月6日 金曜日

相談者にとって今本当に必要なことは何か(弁護士 藤田温久)

藤田温久弁護士については、こちらをご覧ください。

 

  Aさん(65歳)は夫Bさん(68歳)とお二人で戸建の建物にお住まいでした。戸建の土地、建物(以下「本件土地建物」)はいずれもBさんの名義でした。Bさんはご自宅で病気療養中のことで、Aさんがお一人でご相談にみえられました。

 ご相談は、Aさんご夫婦のお隣にお住まいのBさんの弟Cさんと同人所有のお隣の土地との境界を巡る争いが続いており、Bさんのお元気なうちに境界問題を解決したいので、境界確定のためにはどうすれば良いのかというご相談でした。
 私は、先ず、境界を確定するためには、当事者同士の話し合いがつかないのであれば、弁護士を代理人として交渉しそれでもだめな場合は境界確定訴訟(裁判をするということです)などの法的手続をとることで境界を画定することができること等をお話ししました。
 しかし、私はBさんが病気療養中で相談にもみえられなかったことが気になり、病状について遠回しに伺ったところ、Aさんは「実は・・」とBさんが癌で余命2~3ヵ月と医師から言われていることを打ち明けて下さいました。私が心配していた以上の病状であったため、Bさんの家族関係をお聞きしたところ、ご両親は亡くなられており、お子さんはいらっしゃらず、Aさんの外はCさんのみが法定相続人(法律で決められている相続人)であること、相続財産は本件土地建物と若干の預金のみであることが分かりました。
 そこで、私は、「気を悪くしないで聞いていただきたいのですが、もしご主人(Bさん)が亡くなられた場合、相続財産は貴女(Aさん)とCさんで相続することになってしまいます。しかし、「貴女に全部相続させる」旨の遺言を書いていただければ、ご兄弟には遺留分減殺請求権(遺言があっても、法定の割合を自分に渡すように要求することができる権利)もないので、貴女が単独で相続することができます。「どのように考えられますか。」と聞きました。すると、是非遺言を書いてもらいたいというご希望でした。私は、弟Cさんと境界争いをしている現状からすると、Bさんが亡くなられた後にCさんから「遺言はAさんがBさんに無理に書かせたものだ」「遺言は偽造された(勝手にAさんが書いた)ものだ」等といわれる可能性があるので公正証書遺言にした方がいいとお勧めしました。公正証書遺言は、公証人が作成するものであり、「偽造」「無理に書かせた」等というクレームを付けて遺言が無効だと争うことは非常に困難なものであることを説明させていただきました。もちろん、証人には当職と当事務所の事務局員1名を充てること、費用等についても説明させていただきました。その結果、AさんはBさんに公正証書遺言を書いてもらうことでその内容、手続を当職に依頼されることになりました。
 当職は、一刻を争うと考え、その場で公証人に電話し、公証人がBさんの病室にゆくことのできる日程を確保し、遺言原案を作成し、公証人と打合せをした後、数日後無事公正証書遺言を作成することができました。その1ヵ月後、Bさんは様態が急変し亡くなられてしまいました。
私は、Aさんから依頼を受け、遺言執行(本件土地建物の相続登記や預金の名義変更等を行う)をAさんの代理人として行いました。更に、Aさんから依頼を受け、Bさんと交渉し境界を確定することにも成功しました。
 Aさんには、「相談していなければどうなったか・・本当に有り難うございました」と大変感謝していただきました。
 法律の専門家ではない方には、今本当に必要なことは何かが分からないことが往々にしてあります。私は、これまでの30数年の弁護士生活と同じく、常に相談者にとって「今本当に必要なことは何か」をこれからの真剣に考えていきたいと思っています。 

以上
             

投稿者 川崎合同法律事務所 | 記事URL

2021年8月1日 日曜日

根本孔衛弁護士が、2021年1月8日永眠しました。

 2021年1月8日、当事務所の創設者のひとりである根本孔衛弁護士が95歳で亡くなりました。これまで根本弁護士と親交のあった依頼者と関係者の皆様にご報告申し上げます。

 根本弁護士は、「地域に根ざした活動」を合言葉に、1968年4月に当事務所を開設しました。以来、当事務所は、「自由・人権・統一」の理念の実現をめざして奮闘し、2018年4月には開設50周年を迎えることができました。
 根本弁護士の活動は、多岐にわたり、その取組みそのものは、現代に脈々とつながっています。川崎民商弾圧事件は、今の倉敷民商弾圧事件や重税反対運動に、東芝臨時工解雇事件は、今の非正規のたたかい、その立法闘争に、新島ミサイル射爆場事件は、全国各地の基地反対運動に、そして、沖縄違憲訴訟は、辺野古、高江の反基地運動や「沖縄差別」撤廃闘争に、それぞれ連なり、今もって色あせずに今日的課題となっています。

 最後に。根本さん、本当におつかれさまでした。ゆっくりとお休みください。そして、好きな本をじっくりとお読みください。

2021年8月

川崎合同法律事務所

略歴

1925年3月  千葉県五井生まれ
1959年    弁護士登録 第一法律事務所入所
全林野東北の刑事事件、安保6・4事件、新島ミサイル射爆場反対、入会権訴訟等を担当
1965年10月~1967年10月  自由法曹団事務局長
1968年4月  川崎合同法律事務所を本永寛昭弁護士と共に設立
1974年10月~1976年10月  自由法曹団幹事長
1979年4月  横浜弁護士会副会長
 この間、沖縄違憲訴訟、川崎民商弾圧事件、東芝臨時工事件、川崎公害裁判、日本鋼管人権裁判、日本ゼオン配転解雇事件や借地借家事件、民商関連事件等数々の事件を担当。そのほか、自由法曹団神奈川支部支部長、日本弁護士会連合会米軍地位協定小委員会委員長などを歴任。

投稿者 川崎合同法律事務所 | 記事URL

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