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鶴見駅事件 14年目の職場復帰 /藤田温久 2007.12.12

2016年8月17日 水曜日

 鶴見駅事件とは、国労横浜支部鶴見駅分会副分会長S氏(1990年7月1日)、同分会書記長H氏(1991年2月9日)に対する鶴見駅から東京ベンディングへの強制配転命令と、同分会執行委員N氏(1990年11月17日)に対する懲戒解雇処分が、なかったものとして原職に復帰させること、バックペイ、国労分会への差別、支配介入の禁止、ポストノーチスを求めて神奈川地労委へ救済申立した事件です。

  S氏配転の理由は「接客に不向き」、H氏配転の理由は「接客に不向き」「助役ポストなどを壊した」、N氏懲戒解雇の理由は「助役を殴って傷害を負わせた」などというものでした。 しかし、審問を通じ、「接客に不向き」の根拠はことごとく破綻し、東京ベンディングが国労組合員(特に役員クラス)の強制収容所となっていることが明白となり、また、N氏の「暴行」が助役による人間性を無視した計画的で非道な暴言挑発により引き起こされたものであること、他労組組合員の同種事例との異様な処分格差などが次々と暴露されました。

 神奈川地労委は、1994年11月30日に、申立をほぼ認める救済命令を発し、JR側再審査申立により中労委へ係属されましたが、その後、8年間にわたる冬眠を余儀なくされました。
2003年6月24日、「政治解決」は破綻し、復活した中労委は再び労働者を全面的に救済する命令を発しました。

 更に、JRは、行訴に持ち込みましたが、東京地裁民事第36部は、2004年9月27日、JR側の請求を棄却する判決を言い渡しました。同時に、緊急命令が発せられ、S、H、N各氏に対する処分がなかったものとして原職復帰、バックペイをJRに対し命じた。これを受け、JRは「訴訟上の制約があるため」などと泣きごとを言いつつ緊急命令に従うことを通告し、3人全員に(原職復帰のための)研修を行い、原職へ復帰させました。
とりわけ、解雇されていたN氏にとっては、14年ぶりの正規の職場への復帰でした。余りにも長い14年でした。 懲戒解雇処分無効・原状回復を命じた判決は、JR復帰後の判決としては画期的なことでした。

 しかし、JRは、不当にも控訴し、事件は、東京高裁第7民事部へ係属しました。

最終和解

 2005年8月2日、1年近く続いた和解交渉は労働者側のほぼ全面的勝利を認める内容で和解成立となりました。S、H、Nの原職復帰、Nへのバックペイ、Nへの今後の職場の斡旋と条件の確保などです。 懲戒解雇されて職場復帰を果たしたのは、国鉄以来、人活原告団に続いて2例目という画期的なものでした。 「暴力事件」を覆したという意味では初めてのケースであり、Hの件と並んで画期的勝利です。まさに、一丸となった体制と「決意」、当該とりわけNの執念、そして弁護団の第1審における徹底的な準備と闘いが導いた勝利でした。

投稿者 川崎合同法律事務所

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