トピックス
公害調停-全国の大気汚染被害者の救済を目指して-(弁護士 篠原義仁)
2020年1月16日 木曜日
1 2019年2月18日、前日に公害調停申請人団の結団式を文京区民センターで開催し、全国公害患者の全連合会と東京、神奈川(川崎、横浜)、千葉、埼玉、名古屋、大阪のぜん息患者90人が、環境省と自動車メーカー7社(トヨタ、日産外)を相手方として、総務省の下に設置されている公害等調停委員会に公害調停の申立を行った(その後、第2次の申立が行われ、現在、申請人団は104名)。
申立の趣旨は、①国は、大気汚染公害医療費救済制度を創設すること ②自動車メーカー7社は、前記制度につき相応の財政負担をすること、ということで医療費救済の制度創設を本来的要求とし、これに加えて ③国と自動車メーカー7社は申請人らに対し、各100万円を支払え、というものである。すなわち、せめて医療費救済を、ということで、要求をしぼった形で申請を行った。
2 従前の制度としては、固定発生原(工場排煙)中心の大気汚染(SO2、NO2、SPM外)を念頭において、1970年2月1日から医療費救済の特別措置法が施行され(当時、環境省は存在せず厚生省管轄)、1973年9月には、1972年7月24日の四日市ぜん息判決を基礎に公害健康被害補償法が成立し、74年9月1日から、医療費救済はもとより、生活補償や健康回復事業を含め被害者を全面的に救済することを目的として同法が施行された。
同法の財源は、固定発生源が8割、国(自動車重量税から拠出)が2割で、当時は工場排煙を中心として制度設計がなされたため、自動車排ガス(移動発生源)をも視野に入れた制度とはならず、 自動車メーカー及びその関連企業(石油関連会社外)からの財源拠出はなかった。
まさに、固定発生源中心の大気汚染に対応しての救済制度の発足となった。
3 その後、オイルショック等の発生で、前記救済制度は経団連や加害企業からたびたび制度の縮小や廃止の策動にさらされてきたが、患者会の圧倒的運動の展開の下で、これを阻止し、制度を維持、発展させてきた。
しかし、加害企業の財源拠出が年額1000億を超える頃から、経団連・加害企業からの攻撃は激しさを増し、他方、東京、川崎、大阪等々の革新時自体の下での大気汚染物資の総量規制の実施、公害被害者の要求に押されての加害企業の公害対策の前進の結果、SO2汚染については、環境基準を達成する状況となるに至った(しかし、NO2、SPM汚染は、未だ深刻な状況であった)。
加害企業は、SO2汚染のみの改善に焦点をあて、政府、環境省に対し、公害補償法の骨抜きを図るため、全国41に及び大気汚染系の公害病認定地域の指定地域解除の画策(既認定患者の救済は存続させるが、新規認定患者の認定を行わないという画策)を進めるに至った。
その結果、政府は中曽根内閣の下で臨調行革路線の一環として、補償法についてこれを改悪して指定地域を解除することとし(97年9月国会)、1988年3月1日から補償法に基づく新規認定患者の認定打切りを強行した(当時の認定患者は、約10万人で毎年、9600人が新たに認定申請)。
4 SO2汚染の一定の改善はみられたものの、NO2、SPM汚染の改善がないなかで、新規発生の患者は長期にわたって未救済のまま放置された。
しかし、この指定地域解除が誤りであったことは環境庁自らの施策の展開ですぐに明らかとなった。
88年12月21日、環境庁は「環境白書」を公表した。マスコミは一斉に「大気汚染、10年前に逆戻り」とし、NOX、SPMは一向に改善のきざしを見せていないことを報道した。環境庁は、87年の「環境白書」でも、依然、大気汚染が進行していると認めたが、その要因は、「気象現象の変化」にあると強弁した。しかし、87年、88年と2年つづいた大気汚染の悪化を前に環境庁も,自動車公害対策等で抜本的な公害対策を考慮せざるをえないとした。
すなわち、環境庁は88年3月に「大気汚染改善論」を振りかざして指定地域を解除したのにもかかわらず、88年10月には、大気汚染の悪化という深刻な事態に直面して、すなわち、87年度の三大都市地域のNO2 環境基準未達成局が91%と過去最悪を記録したことに関連して、従来、固定発生源を対象として東京、神奈川、大阪の三大都市地域で実施していたNOX の総量規制対策に、移動発生源の自動車を加える方針を確認した。
補償法の財源との関係で固定発生源を念頭におき、そして、SO2 汚染の改善に着目して指定地域の解除に踏み切った環境庁が、移動発生源をも総量規制の対象にして大気汚染の軽減化と被害の防止に踏み出すことになったのである。
そうだとすると、補償法の制度の枠組みは維持した上で移動発生源、すなわち自動車メーカー等にも財源の拠出を求め、PPPの原則に基づいて、88年以降の新規患者等についてもその救済が図られるべきことは当然のことである。
5 公害調停で、被害者が求める医療費救済制度は、環境省がこの歴史的誤りを猛省して、88年以降の大気汚染の実態とこれに起因して毎年数千人規模で発生している新規患者等について、せめて医療費救済制度を創設せよと求めるものである。
指定地域解除後、90年代から2000年代にかけて、NO2 、SPMそしてPM2.5に係る深刻な大気汚染は継続し、必然的に気管支ぜん息をはじめとする新規患者は発生しつづけた。
指定地域解除後に斗われた自動車排ガスに係る道路公害裁判は、
95年7月5日 西淀川二次~四次判決
国・公団の道路公害の責任を認める
98年8月5日 川崎二次~四次判決
国・公団の道路公害の責任を断罪し、大気汚染と被害の発生が「現在進行形」であることを認める。
00年1月31日 尼崎判決
国・公団の責任を認め、大気汚染被害が「現在進行形」で自動車排ガスの排出は直ちに差止めるべき深刻な 事態となっていると断罪し、差止認容の判決
00年11月27日 名古屋南部判決
尼崎判決と同様に差止認容。
という内容の判決を勝ちとった。
一連の判決、とりわけ、尼崎・名古屋の2つつづけての差止認容判決は、国と自動車排ガスの責任主体、自動車メーカーに速やかな公害防止対策と緊急な被害救済を要求した。それは、補償法水準の救済制度の創設を要求した。同時に「公害は終った」と喧伝する政・官・財に対する、司法を土俵としての痛烈な継続的反撃となった。
いずれにしても、裁判制度に基づく反撃は、国として、道路公害=自動車公害に対応する新たな被害者救済制度の創設を行うこと、そのためにも自動車メーカー等に財源拠出を含めた関与を強く要求するものとなっている。
他方、02年10月29日の東京の1次判決とその後の和解の成立によって、少なくとも医療費救済制度に係る国と自動車メーカーの責任関与の枠組みは、すでに示されるところとなっている。
6 今回の、公害調停は、以上の経緯をふまえて申立てられた。
以来、すでに公害調停は4回開催された。相手方となった国の対応は、一見誠実な態度を示しつつも、救済制度の必要性と重要性につき、きちんとこれを理解し、制度設計に向けて真摯に向き合うという体制に至っていない。国としてもっと積極的にイニシアティブを取り、制度の早期達成をめざすという姿勢に欠けている。
申請人団としては、国への働きかけを強める必要がある。
他方、自動車メーカーに至っては、もっと後向きの姿勢に終始している。自動車メーカーは ① 立法に関わる要求は、公害調停の土俵外 ② 制度内容につき国からの働きかけがなく不明。したがって、調停の土俵に乗れない ③ 財源は、国の外、自動車メーカー、石油業界、運輸、物販業界と(申請人は)言いながら、自動車メーカーのみを被申請人とするのは論外 ④ 東京大気訴訟で自動車メーカーは勝訴している(責任なし)。そのなかで高裁和解には一定の財源を拠出し、協力している、と主張し、さらには法的責任の枠組みは置いておくとして、医療費救済で「社会的責任」を果せと言われても、自動車メーカーは低公害車の開発で社会的責任は果している、として開き直りの対応を示し、公害調停は早期に打ち切り、調停不調にしろと、公調委に迫っている。
7 公調委は、被申請人、とりわけ、自動車メーカーの強硬な開き直り姿勢のなかで、申請人側からみて、若干、自動車メーカーに迎合的という姿勢を示しつづけていたが、第4回調停(11月27日)において、調停を早期に打ち切れという自動車メーカーの「言い分」を拒絶し、年明け以降の調停期日では大気汚染とぜん息等の発病・増悪の因果関係、いわゆる一般的因果関係につき、申請人側のプレゼンテーションをうけるとして、調停内容に一歩踏み出すことを宣明した。
申請人としては、これにつづき、公調委がまだ乗り気を示していない責任論(国との関係では、規制権限不行使論、自動車メーカーの関係では、不法行為に係る過失論)について、申請人主張の認否、反論を迫り、一気に調停手続を軌道に乗せたいと考えている。
また、公調委として大気汚染の現場、申請人の生活の場を直接見分する必要があるとして、東京(2ヵ所)、名古屋、大阪の「現場検証」申請につき、早期に採用すべきであると迫っている。
いずれにしても、調停手続き自体、裁判と異なり、そう長期にわたるものではなく、本年度がまさにそのヤマ場、正念場となっている。
(2020.1.15記)
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