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三セクの「損失補償」は違法 /篠原義仁 2007.12.12

2016年8月17日 水曜日

1.今、全国各地で市民オンブズマンの手によって税金のムダ遣いを追及する取り組みが進んでいます。官官接待、食糧費問題、各種ウラ金づくりとその費消。官民癒着の構造のなかでの談合問題(高値落札)。税金のムダ遣いはあとを断ちません。
  その一方で、ムダ遣いの結果として作り出された「財政難」を口実にして、福祉、介護、医療、教育、公害環境予算が大幅に削減されています。限られた財源であっても税金はないのではなく、税金の使い途が間違っている結果として、「財政難」が作り出され、私たちの生活関連予算が、不当にも削減されています。

2.この税金のムダ遣いの典型としてムダな大型公共事業の推進があり、それとセットになった形で第三セクターへの公金(税金)の支出問題があります。
  かわさき市民オンブズマン(事務局事務所は川崎合同法律事務所)は、経営破綻した「かわさき港コンテナターミナル株式会社」(KCT)について、川崎市が赤字必至の港湾事業の第三セクターに資本投下(50.8%の筆頭株主)しただけでなく、KCTの銀行融資に関連して前市長が「損失補償」したことにつき、その違法性を主張して住民訴訟を提起しました。
  その判決言渡が、11月15日、横浜地方裁判所で行われ、住民側の実質勝訴(形式上は敗訴)の判決が言い渡されました。

3.前提事実としては、KCTは、1994年、川崎港の貨物船の荷(コンテナ)の積み下ろしを主な業務として設立されましたが、東京港、横浜港に挟まれた「ビルの谷間のラーメン屋」と評されたとおり、大型コンテナ船の寄港はごくわずかで業績が伸びず、設立当初から赤字を重ね、数次にわたる川崎市の財政的支援もむなしく(これも無駄な税金投下)、04年にオンブズマンが指摘したとおり破産しました。その破産の跡仕未として損失補償協定に基づき、協定の限度額9億円を川崎市が銀行に支払い、その違法性が住民訴訟で争われることとなりました。
  判決は、この損失補償協定を、財政援助制限法(地方自治体の財政を圧迫しないため違法、不当な財政援助を禁止している法律)で禁止している「保証契約」に該るとして、オンブズマン主張をうけ入れて損失補償契約は違法と判断し、川崎市の措置は法を潜脱するものと厳しく指弾しました。
  すなわち、川崎市に限らず多くの地方自治体は法の制限を免れるため、実質上は保証契約なのに契約(協定)の形式を損失補償契約と呼び、若干の契約条項については保証契約とは異なる文言を置いて、まさに「法の潜脱」を図ってきました。今回の判決は、それを許容せず、実質は保証契約として断罪したものです(但し、損害金の返還請求自体は、返還時点での現市長に過失なしとして棄却)。

4.オンブズマンは「三セクへの損失補償協定が違法と判断されたのは、全国で初めてのことで画期的で、見事なくらい我々の実質勝訴だ」と判決を評価し、判決の及ぼす社会的影響についても「自治体が三セクのために金融機関と損失補償協定を結ぶのは全国的にみて一般的。従って、今回の地裁判断は全国的に影響を及ぼすのは必至で」「公金支出について自治体の新たな指針となる」と分析しているところです(詳細は11月16日付各紙新聞報道参照)。

判決全文(裁判所の判例集ページ)

投稿者 川崎合同法律事務所 | 記事URL

式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 /川口彩子 2007.12.12

2016年8月17日 水曜日

私が弁護団に入ったわけ
 私の父は現役の都立高校教員である。また母は2年半前に退職してしまったけれど,東京都の小学校教員であった。幼い頃から,教育現場は,私にとって日常の話だった。
  父からは,10.23通達が出される何年か前から,卒業式に日の丸・君が代が入り込んできている話を聞いていた。式の中に君が代がむりやり入れられた,式次第にも書き込まなきゃいけなくなった,式次第には君が代じゃダメで国歌と書かなきゃダメだ,国歌斉唱と書かなきゃダメだ…。
  一方,週案の提出が義務付けられたり,主幹制が導入されるなど,教員に対する統制が強まっている話も聞いていた。学校が息苦しくなってきて,母は退職する数年前から,早く辞めたい,早く辞めたいと言うようになっていた。母が早く辞めたいと言い出したころ,私は,母が誇りをもって,生きがいとして続けてきた「教師」としての仕事なのだから,定年前に辞めるというのはなにか挫折のような気がして,「頑張って続けなよ」と励ましてきた。しかし,学校現場の話を聞くにつけ,学校から自由がなくなっていること,そして未来に希望が持てないことを,私自身も感じられるようになり,無理して続ける方がかわいそうに思えてきた。そしてついには「辞めてもいいよ」と言えるようになり,母も2003年度をもって退職することを決意した。
  そのような中の10.23通達だった。通達が出された3日後,私は自由法曹団の全国総会の場で,10.23通達の話を聞いた。処分を前提に起立斉唱を強制する内容に本当に驚いた。家に帰って父に「大変なんじゃないの?」と聞くと,父は「そうなんだよ。それでみんな,組合も,どうすんだどうすんだって大変なんだよ。」と言った。全国総会の場で,「サワフジ先生が無名抗告訴訟をやらないかと言っている」という話は小耳に挟んだのだが,当時は「サワフジ先生」と面識もなく,「無名抗告訴訟」という言葉も聞いたことがなかったし,本当に裁判になるのかも分からず,興味はあったけれど情報が入らなかった。
  2003年12月になって,ようやく訴訟の話が聞こえてきて,同期の紹介で弁護団につながった。家に帰って「弁護団に入ろうと思うんだけど」というと,父は「もう原告になったよ」と言った。(それまで全然知らなかった。なんで話してくれなかったんだろう?)父に「娘が弁護団だとやりにくい?」と聞くと,「そんなことないよ」と言ってくれたので,弁護団に加わる決意をした。父の友人として,同僚として,都立高校の先生には小さいころからお世話になってきた。私にとってはみんな親のようなものだ。都立高校の話は私にとって他人事ではなかった。

学校現場の苦悩
 弁護団に加わった私の仕事は訴状の損害論,つまり原告が10.23通達によっていかに苦しみ,悩んでいるかを書くことだった。「現場報告」には,生々しい苦悩が書かれていた。どの教員も,生徒との関係で悩んでいた。絶対的に誤っているこの強制に従うことは,これまで自分が生徒に語りかけてきたことと矛盾する行為である。これまでの教育信念,教育実践を曲げるということは,教員としての自分の人生を自ら辱めるものであるが,10.23通達はそれを教員たちに強要するものだった。繰り返すと処分が重くなり,3回目か4回目には免職になるといわれていた。わずか2年で免職になってしまうという,処分の威力はすさまじかった。生徒との関係,家族との関係,自分の信念を曲げるのか,それとも教員であり続けることに意味があると考えるのか,こんなことがまかり通るなんて許されるのか。頭の中をあらゆる考えがぐるぐるとまわり,体調に変調をきたす教員がたくさんあらわれた。そのなかでも「踏み絵」を踏んでしまった教員は,その尊厳が傷つけられ,精神的被害は著しかった。10.23通達は,教員の教育への情熱を奪うものだった。学校は無力感に覆われていた。

エスカレートする都教委の暴挙
 訴訟が始まってからも都教委の暴挙はとどまることがなかった。大量の懲戒処分が蛮行され,嘱託教員はたった1回,40秒間の不起立で,新学期の2日前に突然職を失った。板橋高校は,学校が公安警察にさらされた。生徒の不起立が多かった,生徒に「内心の自由の説明」をした,生徒会が「日の丸・君が代の討論会」を実施したとの理由で,学校に大量の都教委職員が調査に入り,事情聴取を受けさせれ,厳重注意等の「指導」がなされた。夏には「再発防止研修」が実施された。都議会では教育長が,反省の十分でない教員は研修終了とならないので生徒の前に立たせるわけにはいかないといった答弁をしていた。予想された出来事だったが,翌年以降も,過去に不起立をしたことがある者は嘱託に採用してもらえなかった。
  私たちは,大量処分に対しては東京都人事委員会で大規模に不服申立てを展開し,嘱託教員の解雇撤回裁判を起こし,再発防止研修に対しては執行停止を申し立て,嘱託が不採用になった教員も次々と提訴した。そして,それぞれの裁判で得られた成果を,各裁判で有機的に活用し,予防訴訟でも原告・証人として合計12人の現職教員の訴えを裁判所に聞いてもらった。保護者も証言台に立った。現職教員である元校長が,都教委の「指導」の詳細を克明に語った。そして大田尭教授,堀尾輝久教授が,学校における自由の必要性を熱く訴えた。
そして判決…!
  すごい判決だった。裁判所が「起立しない自由」「ピアノ伴奏をしない自由」を憲法上の権利として認めてくれたのだ。裁判長の口から「いかなる処分もしてはならない」との言葉が出たときは,これまで苦悩して苦悩して苦悩して,影で涙を流してきた原告の先生方の顔が次々と浮かんできて,涙した。
  地裁判決は,まるで私たちの訴状のようで,当たり前のことをさらっと書いているのだけれども,それでも「憲法は,13条等によって,原告らの思想と相反する世界観,主義,主張等を持つ者に対しても相互の理解を求めている」との表現に代表されるように,憲法の精神に忠実であり,教育基本法の趣旨を正しく理解して書かれたもので,大変評価できると考えている。
  「無謀訴訟」と呼ばれた予防訴訟が,私たちの「希望訴訟」になった。この判決が,全国に勇気と希望を与えたと確信している。そのことが,とても嬉しい。

判決全文(裁判所の判例集ページへ)

投稿者 川崎合同法律事務所 | 記事URL

東京大気汚染公害裁判勝利で きれいな空気をこどもたちへ /西村隆雄

2016年8月17日 水曜日

深刻な大気汚染・広がる被害
 首都圏の大気汚染は、1980年代の後半に一気に悪化。都内では、幹線道路沿道のみならず、これから離れた一般地域でも、高濃度の汚染が全域に面的に広がっています。2003年秋からスタートした東京都などのディーゼル規制以降も、なお深刻な汚染が続いています。
  このためぜんそく患者は、ますます増加傾向にあり、国が公健法による認定を打ち切った1988年以降、未救済患者は、高額な医療費負担で満足な治療も受けられず、病状は悪化の一途をたどり、失業しても何らの救済もなく、最後は生活保護に頼らざるをえなくなっています。

一次判決を乗りこえて
 東京大気汚染公害裁判は、1996年に、ぜん息などの被害者が、国・東京都、首都高、トヨタなどメーカー7社を相手どって提訴しました。
  2002年10月の一次東京地裁判決は、被害救済を12時間交通量4万台という巨大幹線道路沿道50mに限定し、面的汚染の因果関係を認めず、原告99名中何と92名の請求を棄却する一方、自動車メーカーの法的責任についてもこれを否定する厳しい判決となりました。
  そこで私たちは、この間、この判決を克服し、面的汚染の因果関係と自動車メーカーの法的責任を明らかにすべく主張・立証を重ねてきました。
  その一端をご紹介すれば、以下のとおりです。

自動車メーカーの責任
 自動車は、ディーゼル車(燃料:軽油)、ガソリン車(燃料:ガソリン)に大別されますが、東京の大気汚染の元凶はディーゼル車。窒素酸化物の67%、浮遊粒子状物質の大半はディーゼル車から排出されているのです。
  このディーゼル車、実は1970年代半ば以降のこの20~30年でガソリン車にとってかわって急増。宅急便の2トン積などの小型・中型トラックは、当時ほとんどガソリン車だったのが、大半がディーゼル車になってしまったのです。
  それでは、もしこのディーゼル化がなかったら? 水谷洋一静岡大助教授によれば、ガソリンへの転換が可能な中小型トラック・バス、乗用車がガソリン車であったとすると、大型トラック・バスがディーゼル車のままでも、何と、東京都内の自動車からの粒子状物質の74%(1990年)、75%(1999年)がカットできることが判明。このことはメーカー側も一切争っていません。
  このディーゼル化は、当時のオイルショック、円高不況で売上げ不振に陥ったメーカーが、燃費の良さを最大のポイントにして大々的な売込みをはかったことによるものです。しかも当時、すでにメーカーは、ディーゼル排ガスの有害性について十分に認識しえた(先の一次判決)のですから、自動車メーカーは法的責任を免れようもありません。

全面的汚染の因果関係
 一方、一次判決が救済の範囲を『沿道』に限定した根拠は「千葉大調査」でした。しかし都内では非沿道地域であっても実は千葉大調査の沿道並みの汚染にさらされており、非沿道まで含めた因果関係が認められるべきです。
  またその後発表された千葉大調査の結果では、非沿道地域であっても田園部の四倍近い発病危険にさらされており、非沿道まで含めた因果関係は明らかです。
  さらに近年欧米では、日々の大気汚染濃度の高い日にぜん息発作が多発するという研究が多数蓄積されており、これらからすれば、自動車排ガス汚染でぜん息発作をくり返し、ぜん息が長期的にも増悪することが明らかとなっているのです。

100万署名で全面勝利判決を
 以上の到達点をふまえて、私たちは来年にも予想される判決で、メーカーの加害責任を認め、面的被害を救済する全面勝利判決をかちとり、その上で、自動車メーカーはじめ国・都などの財源負担で新たな被害者救済制度を創設し、公害対策の強化と公害道路建設推進の道路行政の抜本的転換をはかっていきたいと考えています。
  そのために、裁判所あての『100万署名』にぜひともご協力下さい。

投稿者 川崎合同法律事務所 | 記事URL

川崎公害裁判の現状と課題 /篠原義仁 2007.12.12

2016年8月17日 水曜日

1999年5月20日、川崎公害裁判は国と首都高速道路公団との間で和解を成立させた(1996年12月25日に企業和解成立)。

  それ以降、①被害の救済、②公害の根絶、③環境再生とまちづくりを3本の柱として要求を組み立て、②③については1999年10月8日付提言、2000年5月31日付提言を基礎に幹線道路周辺対策だけでなく、川崎区、幸区全域を視野に入れて文字通り「環境再生とまちづくり」の課題を政策化してその実践を継続している。他方、①については成人のぜん息患者の医療費救済が川崎区、幸区(公害健康被害補償法の旧指定地域)に限られていたのに対し、全市に拡大する自動車排ガス汚染の実態に対応して、医療費救済も「全市全年齢」に適用するよう求めた取り組みを展開している。

1. 医療費救済条例の成立
 10万署名(2回分)を基礎に2年有余にわたって取り組まれてきたこの闘いは、昨年の12月議会で「平成18年度内」の成立ということで市議会の意見も市側の考え方も一致し、今、条例化の作業が進行している。 但し、被害者側は、今次予算議会での条例の成立と4月1日からの実施を求めているのに対し、川崎市は、その成立時期を遅らせようとしており、いつの時期から実施させるかが、現在における最大の争点となっている(この外、一部自己負担の導入問題あり)。
ともあれ、川崎での闘いは、この条例により全市的な医療費救済を図り、その上で生活補償費等の救済については、公害健康被害補償法の制度を自動車排ガス汚染の実態をふまえて再確立させる必要があり、そのためには東京大気裁判の勝利が必須と位置づけ、従来ともすれば十分には力の入っていなかった東京大気裁判の100万署名とその裁判支援に力を注ぐことを再確認している。

2. 国道15号線の環境対策
 国和解に基づく約束のなかで最も実践的に進行している課題に国道15号線の環境対策がある(ちなみに、産業道路の環境対策としては、片側1車線のそれぞれの削減と緑化対策が完了)。
その工事は、六郷大橋からハローブリッヂまでの第一区間の先行的工事につづき、第4、第3、第2区画の工事が開始されている。
  この対策は、幅広い中央分離帯を削り(但し、第2~第4区間)、その余った分を両側に配置し、歩道を拡げ、その歩道を自転車道と歩道とに区分けして車道端、歩道と自動車道との間に緑化対策を講じるというものである。
   同時に歩道の随所にポケットパークを新設し、あわせて稲毛公園周辺は、道路と稲毛公園と稲毛神社(さらには川崎中央郵便局側も)とを一体化して環境対策を実施しようということで進んでいる(川崎公害裁判の記念碑も建立予定)。また、旧川崎警察署前交差点の緑化対策も視野に入れている。
  かくして、川崎公害和解の実践として国と原告団・弁護団等による「道路連絡会」の討議を通じて最もスムーズにこの対策は進んでいたが、ここにきて第2~第4区間における植樹に高木が少なく、かつ車道端の高木が(中木すらも)ない工事計画が、連絡会の討議を無視して開始されていることが発覚し、その是正を求める闘いが激しく行なわれている。

3. 自動車走行量の総量規制をめざして─大気汚染の改善のために
 国和解の中心をなすもので、尼崎あっせんをうけて、ようやく川崎においても具体的に進行するところとなった。
その基本は大型車のナンバープレート規制、車線制限(大型車の乗入規制)とロードプライシング(幹線道路利用への課徴金制度。住民地域への流入に課徴金を導入し、非住民地域の湾岸部へ自動車乗入を誘導する制度)の導入で、そのための社会的調査として、事業所、ドライバー等への「大型車の交通量削減に関するアンケート調査」が実施されようとしている。
  現在、国交省(川崎国道事務所)は尼崎調査に学び、川崎でのアンケート調査の項目を検討しているが、川崎での対象道路が高速横羽線(1階が産業道路で車線削減済み)と高速湾岸道路だけでなく多岐にわたるため、そこでの前記対策を具体的にどう考えてゆくのか、それに対応するアンケート項目をどのように組み立てるのか、悩ましい問題を抱えつつ、今春にもアンケート内容を確定させ、そののち直ちにアンケート調査を実施させるべく、そのつめの交渉が精力的に行なわれている。

4. 国道1号線の拡幅問題
 川崎公害和解の「実践」と称して、交通渋滞の解消のため、国道1号線を拡幅するとして50年前に決定された道路計画が突然浮上し、(これに沿道法悪用も加わり)、ここ3年有余にわたって拡幅反対の運動が沿道住民を中心に取り組まれてきた。
  国交省(横浜国道事務所)は渋滞解消のためには拡幅は絶対的課題との堅い姿勢を貫いてきたが、昨秋以降の交渉のなかで、東京-川崎間の交通量と東京-横浜間の交通量の具体的な比較検討を通じて(東京・横浜間の交通量より、東京・川崎間の交通量の方が1万台多い。従って、横浜地域の拡幅は不要だが、川崎地域の拡幅は必要というのが国の論理)、川崎地域内の交通量、とりわけ大型車の走行量を交差点(三差路を含む)毎に、各方向毎に詳細な調査を行い、その上で事業所等へのアンケートを実施し(前記3参照)、事業所協力をえる工夫をすること、交差点構造の改良、改善工事の実施による交通渋滞策をはかること、交通規制、信号調整等により同様の対策を図ること等が道路拡幅よりまずもって検討されるべき、という住民側の主張に対し、国交省も数次にわたる交渉でようやくこれに同意し、現在、道路拡幅を棚上げした上での前記諸対策の検討を約束するところとなった。
  沿道住民側は、幸区全域の市民の納得と同意を得るため、沿道の環境対策はもちろんのこと、国道1号線とこれに連なる道路及びその周辺地域、公園その他の緑化対策を含む幸区版「環境再生とまりづくり」の提言作りをめざして今、奮闘している。

5. 高速川崎縦貫道の問題
  新たな公害発生源となる高速川崎縦貫道建設は、「まち壊し」との強い批判をうけ、建設当時から地域住民の反対にあったが、その事業は反対を無視して進行してきた。
  しかし、その計画は、現在においては完全に見直しを迫られ、即時に中止すべきものとなっている。

6. その他
被害者側は、まちづくりの基本に「トランジットモール計画」などの対策を掲げ、地域密着型のワン・コインバスの導入等公共交通機関の重視を訴えてきた。 そのワン・コインバスも川崎駅-川崎市立病院間で運行が開始され、川崎北部地域への発展をみるに至っている。
  自転車ネットワーク作りも端緒的ではあるが川崎市がその計画案を作り、また、これに連動する課題としての駐輪場対策も川崎市との間の数次にわたる現地共同調査の成果として前進し、また、自転車付置義務条例も不十分さを有しつつも成立した。
  地下街アゼリアの使い勝手の悪さの改善も若干進み、川崎駅前の歩行者優先対策もさいかや前交差点の完全スクランブル化、旧こみや前の三方向スクランブル化(完全スクランブル化には至っていない)、川崎駅前から地下をくぐらずに平面移動できる横断歩道の設置も、その実現のための社会実験も実施された。
  東芝移転後の西口再開発とこれと連動しての東口駅前広場、バス乗り場の見直し、移動も実現の射程に入ってきた。
  この時期において、被害者側が提起した川崎駅東口、北口、西口の一体的まちづくり計画の実践が現実的に追及される必要性はますます大きくなっている。

 

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かわさき市民オンブズマン /篠原義仁 2007.12.12

2016年8月17日 水曜日

 昨年(2005年)1年間のかわさき市民オンブズマンの活動は、多肢にわたっているが、下記の3点にしぼって報告することとする。

1.再びKCT住民訴訟の提起
 かわさき市民オンブズマンは、赤字必至で設立された第三セクター・かわさきコンテナターミナル株式会社(KCT)に対する、川崎市の違法な支援策に反対し、くり返し、くり返し、監査請求を行い、最終的にはKCTにつき会社整理の申立をし、監査請求と住民訴訟の追及のなかで、ついに川崎市(筆頭株主)をしてKCTの破産申立に踏み切らせ、最終的に破産手続を完了させた。
  しかし、川崎市はこの破産実務の後始末として設立当初に締結した融資団(銀行)との間の「融資協定書」にもとづく損失補償条項の「履行」と称して、2005年1月14日、税金から三行に対し9億円の支払を行った。
  そこで、オンブズマンはこの違法な公金の支出を捉えて、監査請求が棄却されたのちの5月20日、融資協定を締結した前市長と公金の支出を実行した現市長らを被告として、その損害金相当額を川崎市に返還すべきとして損害賠償請求住民訴訟を提起した。

  KCTに係る問題点として、今次住民訴訟の内容を報告することとする。

① KCTは、設立以前にマーケットリサーチ(市場調査)を行い、その需要見込について検討した形跡はない。そもそも民間企業では、事業への投資プロジェクトの適宜は、将来のキャッシュ・フローの吟味によって決定される、といわれている。しかし、KCTの設立(平成6年)にあっては、将来のキャッシュ・フローの予測はされていない。
  いずれにしても、川崎港におけるコンテナ事業の実態把握も、調査分析もなく展開されたKCT事業は、破綻必至のなかで平成6年5月10日に設立された。
  これに加えて、今回の住民訴訟(前・現川崎市長に対する損失補償金相当額の損害賠償請求住民訴訟)の主張を補充するため、オンブズマンが情報公開で入手した資料から、新たに以下の事実が判明した。

② KCTは、平成6年5月10日に設立され、前同日、KCTは融資団三行との間で「融資協定書」を締結した。
  他方、「平成6年度改正地方財政評解」によると、自治省は平成6年4月26日付自治財第20号の自治事務次官通知において「地方団体が第三セクターに出資、融資等を行う場合においては、当該第三セクターの行う事業の性格、運営方式、成熟度、採算性等を十分検討のうえ、適切に対処すること。 なお、第三セクターの債務に係る損失補償契約等の債務負担行為の設定は、将来の財政への影響も十分考慮して慎重に行うこと」として、その警鐘を鳴らした。
  ところが、川崎市はこの警鐘を無視してこの融資協定書を締結し、KCTの借入債務について損失補償を行った。 一方、KCTは川崎市に対し、平成6年4月26日付通知をうけたかたちで平成7年9月7日に至り、経営指導念書の差入に関する提出依頼を次のとおり行った。それは、きわめて簡単、安直なもので 「当社事業資金の借入債務について川崎市の損失補償がなくなったことから、借入条件等について協調融資団の代表幹事銀行の㈱横浜銀行ほかと協議をしてまいりましたが、今後の融資について信用融資(無担保)で川崎市から経営指導念書を差入れることで合意しましたので念書の発行方よろしくお願い申し上げます。 なお、念書については、協議融資団を構成する三行にそれぞれ発行していただきたく併せてお願い申し上げます。」 というものとなっている。これに対し、川崎市は具体的検討を行った形跡もないなかで、申入のあった直後の平成7年9月12日に 「かわさき港コンテナターミナル㈱代表取締役社長高橋宏輔から別紙のとおり、事業資金借入れに際しての金融機関あて念書提出の依頼がありましたが、この対応は、今後本市ではかわさき港コンテナターミナル㈱に対する損失補償をしないことの代替措置であります。つきましては、次案(1)によりかわさき港コンテナターミナル㈱あて依頼文を提出してもよいでしょうか。なお、同様の依頼文は、今後特別な事由が生じない限り発行いたしません。」
という内容の回議書を起し、同年9月25日にこれを履行した。そして、この指導念書に関して川崎市は「川崎市におきましては、平成7年度からの同社の事業資金借入については、自治省からの通達により、その損失補償を見合わせることにいたしました。つきましては、誠に勝手なお願いとは存じますが、同社の借入金債務に関し、川崎市は貴行に対し、ご迷惑をおかけしないよう、同社の経営に関し充分な指導・監督を行う所存でございますので、貴行のご融資に関し、何卒格別なるご高配を賜りますようお願い申し上げます。」と融資団に申入れ、この申入が平成6年4月の自治省通達に基礎をおくことを明示した。そうだとすると、平成6年5月10日時点において川崎市は本件融資協定書を締結しないことは可能であったし、現実の問題としても自治省通達に従い、これを締結すべきでなかったのであり、その責任は重い。川崎市の無責任さは、厳しく追及される必要がある。 その無責任性をさらに付言すると、前記文書には 「なお、同様の依頼書は、今後特別な事由が生じない限り発行いたしません」と明記したにもかかわらず、格別な検討もなしに安直に、特別な事由は全く生じていないのに、くり返し、くり返し指導念書(依頼書)は発行されつづけた(平成10年から平成14年の実態につき、情報公開で資料入手)。
  こうした川崎市の無責任な対応は、かわさき市民オンブズマンが会社整理の監査請求、住民訴訟を提起するまで惰性的に行われ、オンブズマンの監視の結果、ようやく終息した(のちに、KCTが破産手続に移行したことは周知の事実)。

③ KCTは破綻必至という爆弾をかかえて設立され、そして、損失補償に警鐘を鳴らした自治省通連を無視して融資協定と損失保証契約が締結された。 こうした川崎市の対応は犯罪的であり、また、この事実を見過ごしてKCTの設立と融資協定・損失補償契約の締結に同意した川崎市議会の責任は重大である。

2.第三セクター問題の追及
 オンブズマンは、KCT、FAZ、土地開発公社(塩漬け土地、南伊豆保養用地先行取得問題、川崎縦貫道汚職関連事件)などの個別事例に共通し、かつ、その根源にある問題としての第三セクターがはらむ問題を解明することとし、その第一弾として「第三セクターへの市職員の役員派遣、天下り問題」を取り上げ検討した。その基本的視点は、以下のとおりである。
▼第三セクターと役人の天下り
 談合・汚職の構造のなかで、「天下り」問題の存在とその解決の必要性が指摘され、今、橋梁談合はその象徴事例として全国的な注視を集めている。
  他方、第三セクターのもとで税金の無駄遣いが明らかであるにもかかわらず、企業経営能力のない天下り官僚(役人)によって「武家の商法」とばかりに無責任な放漫経営がまかり通っている。
  中央、地方をとわず官僚は、将来の天下り先である第三セクターについて、その経営政策がいかに放漫なものであっても官僚自身の将来の人生を慮ってこれに積極的にメスを入れることなく赤字の循環をくり返させ、当初の出資金に加え、支援、援助の名のもとに市民の財産である税金を注ぎ込み、税金の無駄遣いを加速させている。そして、それにもかかわらず、第三セクター経営は改善せず、その赤字額はぼう大にのぼるところとなっている。
  前述したとおり、かわさき市民オンブズマンが監査請求をして、その問題を提起したKCTとFAZ等の三セク問題が典型であり、とりわけKCTは住民訴訟 提訴のなかで、昨年1月破産申立が行われ、昨年12月、破産手続が完了した。
  KCTについては、現在、脱法行為の「損失補償」協定に基づく補償金(9億円)の返還につき、前市長・現市長を相手に住民訴訟が提起されるところとなっている。
  ことほど左様に三セクの放慢経営が罷り通るのは、自らの天下り先の確保、擁護に走り、市財政の健全化を省みない官僚の資質、それを許容するシステムと野放し状態の行政体質の存在以外に説明のしようがない。
  ちなみに、「リストラ」「合理化」が吹きあれ、「経済不況」のあおりをうけて、多くの勤労市民、中小業者が生活の基盤を失い生活の糧を求めて困窮するなかで、官僚(役人)は、自らの利権を温存して、第二の就職(賃金、退職金)を保証されて第三セクターに天下っている。
  そのいみで、第三セクターと天下り問題の解明は、市財政の健全化にとって欠かせないものとなっている。
▼出資法人の整理、統合の必要性
近時にいたり、不要な第三セクターの整理、縮小が叫ばれ、県内を例にとってみても、徐々にではあるが神奈川県、横浜市に係る出資法人の廃統合が進行している。ちなみに、土地開発公社については、神奈川県、横浜市とも廃止の方向性を打ち出している。
  これに対し、川崎の第三セクターは、市民要求に比してさしたる進展を見ることなしに平成16年7月1日現在においても、市の出資金25%以上のものが36法人、同じく25%未満のものが46法人、以上合計82法人にのぼっている。これは、神奈川県、横浜市との人口規模、都市規模に比較しても過大というほかない。川崎市の出資法人の整理統合、縮小廃止は喫緊の課題となっている。
  前記82法人のうち、法律に基づくと明記されているものは、民法34条によるものが22法人、公有地拡大促進法によるものが土地開発公社(昭和48年2月1日設立)の1法人、信用保証協会法によるものが、信用保証協会(昭和29年8月31日設立)1法人、地方住宅供給公社法によるものが、神奈川県住宅供給公社(昭和41年6月30日設立)と、川崎市住宅供給公社(昭和44年5月1日設立)の2法人で、残りの8法人は根拠とする法律は無い。これを各論的に検討、分析し、その廃統合を行うことは喫緊の課題となっている(各論検討は略)。
▼天下り問題の追及
① 第三セクターに係る法人の検討につづき、川崎市職員(官僚)の天下りの実態を検討してみることとする。
  当然のことながら、出資法人(第三セクター)は、設立経緯、設立実態からしてそれに対応する関係部局(市長、助役対応も含む)があり、天下りもその部局(同)に対応して配置、派遣され、具体的には、第三セクターの目的・規模等に対応して市長、助役、局長、部長等経験者の天下り先が確定するシステム(仕組み)となっている。それは、第二の就職斡旋であり、川崎市と第三セクターを結ぶ利権(就職、第二賃金、第二退職金等)の構造にほかならない。三セクをめぐってなぜ談合が起こり、汚職が発生し、他方、三セクの経営がなぜ放漫をきわめるのか、そしてその検討を通じてこれをどう改善していくのかの課題は、この構造的システムの解体、改革なしに語ることはできない。
② オンブズマンの調査によると、まず第三セクターに係る役員職務は496職務で、川崎市現業職員は1人で最高12職務を担当している。
  次に天下りの実態を示す常勤役職者について調べてみると、役職総数64で前職が川崎市の公務員である者が46名で、総数に対する割合は71.19%に及んでいる(川崎市出資法人の現況に記載のない前歴は職員録『平成6年度及至16年度』で調査)。
  なお、常勤役職者を設置していない法人は4法人である。
  副市長以下理事に区分した人数は23名で全体との比率は35.94%、部長・所長扱いは17名で、全体との比率は26.56%、課長以下は6名で、全体との比率は9.38%。天下りと確認した人数の総計は46名で全体との比率は71.19%にのぼっている。
  ちなみに、一例をあげるとKCT及びFAZへの支援策につき、オンブズマンは、これを税金の無駄遣いとして監査請求し、市議会でも同様の質疑が行われた。これに対し、KCT及びFAZの経営は健全で、支援策は公益性に合致すると答弁した青木茂夫港湾局長は総務局長を経て、かわさきFAZ(株)の代表取締役に就任している。
  この事例をとってみても、第三セクターの本質的解明にとって役人の天下り問題は避けて通れない課題となっている。
▼むすび
かわさき市民オンブズマンの今回の調査は、相当詳細をきわめたが、天下り問題の抜本的改革のためには、まだ端緒的な調査と解明に止まっている。
  かわさき市民オンブズマンは、今次調査を第一次調査として位置づけ、ひきつづき第二次調査を行うことを予定している。
  2002年(平成14年)3月、市長就任翌年に市の第三セクター「川崎住宅」が、元市幹部4名の違法報酬を提供していた事件で、阿部市長は「服務規程を見直し、完全民営化する」考えを表明した(2002年3月20日新聞記事)。しかし、平成16年度「川崎市出資法人の
現況」によっても、市の出資金は維持され、前記82法人は市の第三セクターのままである。この状況から、私たちが今後調査する調査項目が示唆されているように思われる。
  まず、非常勤役員への手当・報酬の有無、常勤役員の報酬内容は必然で、第二の退職金支給の実体も解明される必要がある。
  次に、補助金、委託料の使用内容の調査も欠かせない。包括外部監査に係る川崎公園緑地協会の例にあるとおり、委託業務の「丸投げ」の有無、利ザヤ稼ぎの実態も必要的調査項目となっている。
  さらに、第三セクターに係る個別法人の財政、会計内容の実態を克明に調査する必要がある。それと関連してなぜ、第三セクターの廃止もしくは民営化が進まないのかも調査する必要がある。
  第三セクターにつき問題が山積しているにもかかわらず、川崎市長及び川崎市の対応は遅々として進んでいない。オンブズマンは、本調査を第一次調査と位置づけ、ひきつづき第二次調査を行い、問題の全容解明を行い、積極的提言を行う決意でいる。

3 南伊豆保養所用地の売却
 2005年10月26日、川崎市は市民局長名で川崎市議会市民委員会に対し、「(仮称)市民利用施設事業用地(南伊豆町)の売却について(報告)」と題する書面を発して、川崎市土地開発公社をして南伊豆保養所用地(以下、本件土地という)につき「一般競争入札方式による民間売却」を行う旨報告した。
  いうまでもなく土地開発公社は川崎市が100%出資している会社で、川崎市と一体化したものとなっている。その入札の結果として12月2日に開札が行われ、応札は個人による一件だけで、5,570万円(最低売却価格5,260万円)で売却されるところとなった。

  かわさき市民オンブズマンは、川崎市(土地開発公社を含む)に係る、いわゆる「塩漬け土地」問題を追求するなかで、本件土地の先行取得の事実を把握し、情報公開による資料の分析や現地調査に基づく現地の実態解明をふまえてその用地買収の違法、不当性を社会的に明らかにした。
  すなわち、川崎市は市民局からの保養所用地買収の申出に基づき、平成8(1996)年10月公社に対し、本件土地につき用地買収の依頼を行った。これをうけて、公社は、本件土地の鑑定を行い、その上で、12月9日、地権者(所有者である学校法人伊東学園)より代金6億1,734万0,704円で本件土地を買い受け、12月10日、所有権移転登記手続を完了した。
  他方、これに呼応して、川崎市の本件土地の再取得時期は、平成12(2000)年3月31日と依頼書に明記されるところとなった。

  オンブズマンは、
① 保養所のような宿泊施設は民業と競業するもので、原則として公的主体による施設は不急不要のものであると臨時行政調査会基本答申(昭和57年7月30日)及び行政改革大綱(同年9月24日閣議決定)にも定められ、従って、全く用地取得の必要性がないこと
② ましてや本件土地は、市民利用施設としては不便すぎる土地で利便性に欠けること
③ 川崎市には既に保養所が3カ所あり(当時)、他の政令指定都市に比較しても、そして、川崎市の財政事情からしても本件土地取得の必要性がないこと。
④ 本件土地は標高差が150mにも及び急傾斜地で平坦部分が少なく、しかも、その平坦部も岩石などの崩落の危険性が現実化していて保養所用地として使用困難となっていること
を主要な理由として、 それに加えて川崎市が公社より再取得する場合の再取得価格(6億1,734万0,704円及び再取得時期までの利息分外)が、異常に高額な「鑑定結果」に基づき不当に高額になっていて、適正価格(前所有者と伊東学園間の取引価格は2億円であったことが、裁判中のオンブズマン調査で判明)に比して著しくバランスを失していることを強調し、その結果、川崎市において再取得した場合には川崎市財政にとって回復困難な損害が発生するとして、平成10(1998)年2月25日に地方自治法第242条に基づき、本件土地の買受差止の監査請求を行った。
  これに対し、川崎市監査委員は、オンブズマンの監査請求を是とするもの(少数)、否とするもの(多数)ということで、結論的には「監査委員間で意見の一致をみることができなかった」旨の監査請求結果をオンブズマンに通知した。
  この実質的な監査請求棄却の通知を受けてオンブズマンは、地方自治法第242条の2の規定に基づき、5月20日、土地買受差止住民訴訟を横浜地方裁判所に提起した。

  この住民訴訟に対し、横浜地方裁判所は平成13年5月16日、オンブズマンの言い分を認めて、不当に高額な川崎市の再取得を差止して住民勝訴の判決を言い渡した。
  ところが、川崎市は、この判決の誠実な履行を求めるオンブズマンの申入を拒否して、すなわち自己の弁明が斥けられたことについて従前の川崎市の姿勢を改めるどころか、原判決を不服として東京高等裁判所に控訴し、引き続き道理も正義もない不当抗争ともいうべき争いを継続した。
  しかし、東京高等裁判所は平成14(2002)年2月6日、川崎市の理不尽な控訴を極めて短期の審理で当然のことながら棄却した。

  今回の川崎市の「最低売却価格5,260万円」(落札価格5,570万円)という説明は、住民訴訟における川崎市の主張と対比して厳しく厳しく批判的に検討される必要がある。
  川崎市は、オンブズマンが主張した不当に高額な取得価格という点に対し、厚顔にもその価格の正当性を主張し続けた。その拠り所として、川崎市は「適正な鑑定」を行い、その結果として行政の実務を執り行ったとして
① 平成8年10月11日付回議書(「事業所用地取得に伴う不動産鑑定書の取扱について(伺い)」)添付の「用地買収費の根拠(概算)」(平成7年11月21日)で川崎市見積として「用地買収費約560,992千円」と試算していること
②  (株)迫・大澤不動産鑑定所(いわゆる大沢鑑定)の鑑定結果として「鑑定評価額617,342,000円」と算出されたこと
を根拠(主要にはより高額な(2)を根拠)にその正当性を展開した。
  しかし、その大澤鑑定のずさんな現地調査と現地の実態を無視した鑑定結果は、オンブズマン側の反対尋問(主尋問平成11年11月10日、反対尋問平成12年1月26日及び3月22日)で、もろくも崩れ去り、裁判所の判決はことごとくこれを斥け、一蹴した。
  他方、オンブズマンは裁判所により公正な鑑定を求め、裁判所もこれを採用し(大田鑑定)、田鑑定も大澤鑑定の異常に高額な鑑定を批判した。
  こうした状況の中で、川崎市は、裁判所の採用した第三者鑑定(大田鑑定)に従って、誠実な訴訟対応をとるべきところ、この鑑定内容を批判して、新たな鑑定として、川崎市の自主鑑定である澤野順彦鑑定を提出し(一審の最終盤)、しかも、控訴審においては大澤鑑定を拠り所とせず澤野鑑定を基礎にその主張を展開した。ちなみに、この澤野鑑定は驚くべきことに大澤鑑定より更に高額な「鑑定評価額7億2,400万円」を導き出した。この澤野鑑定も大澤鑑定と同様に、あるいはそれ以上に大きな矛盾をはらみ、裁判所はこれを採用せず、前記のとおり判決した。
  そうだとすると、川崎市の態度は、そしてそれと一体化している公社の態度としては、本件土地の評価は7億2,400万円ないしは6億1,734万0,704円であるという主張で貫かれなければ、従前の主張は虚偽主張との批判を免れえない(より正確にいえば、後者の価格を基準としても平成17年3月の時点で利子は約1億2,000万円にのぼっていて、これも加算されるべきものとなっている)。
  ところが、川崎市(公社)は従前の主張の撤回、謝罪もせず、またそうであるが故にその誤りの原因についての調査究明もせず、責任者の処分もないままに「最低売却価格」を5,260万円として本件土地を一般入札に付し、5,570万円で落札させるところとなった。
  取得価格の約6億1,734万及び利子約1億2,000万円に比して、6億8,000万円にも及ぶ損害を発生させるところとなった。損害額の高額性からして、この責任は犯罪的といってよい。
  ところで、オンブズマンは、当初からこのような不当に高額な取引が何故発生したのかを含め、本問題につき追求をし続けてきた。
  その端緒的な調査として、本件土地の取引に「有力者」の介在がなかったかにつき問い質しつづけた。
  ちなみに、川崎市議会でもこのことは問題になったが、川崎市はその質問に対し、 「市民局からの情報はどこから入ったかということでございますけれども、市民局へ直接学校法人の方から持ち込んだと伺っています」(平成10年2月18日、まちづくり委員会)と答弁した。
  しかし、これは明らかに虚偽答弁となっている。川崎市の説明責任の放棄、情報の不開示の行政責任はもとより、これを虚偽の報告をもって答弁した犯罪的な責任は許し難いものとなっている。
  これに対し、オンブズマンは情報公開請求を行ったが、そこで開示された「土地情報調書」は、「紹介者」の欄は個人情報であるとして黒く塗りつぶされて開示された。つまり、黒塗りしたという事実は実名は不特定であっても、紹介者の存在を裏付けるものとなっていた。この点につき、オンブズマンは前記裁判提起に関連して、川崎市に対し、平成10(1998)年7月15日、民事訴訟法第163条に基づき照会を行い、同年8月28日、川崎市はその照会をうけてはじめて
  「 本件土地の『紹介者』すなわち情報提供者は、次のとおりである。
     川崎市高津区新作3丁目1番5号  宮田良辰  」
との氏名を特定した。
  宮田良辰氏とは、当時の川崎市議会議長(自民党)であり、いわゆる有力者に相当する(市会議員、ましてや市議会議長は公人であり、川崎市が個人情報で非公開として措置は極めて不当なもので、真相究明に蓋をした態度といってよい)。
  この宮田市議は、川崎市高津区の防犯協議会の会長をつとめ、その防犯協会特別会員名簿に 「 学校法人伊東学園 伊東兵次 溝口3-11-4 」 として伊東学園理事長(但し、何故か伊東兵次氏は住民票を川崎市高津区においていない。住民票は東京都文京区西片となっている)が名を列ね、宮田氏と伊東氏が知己の間柄であることが明らかとなった。さらに市議会まちづくり委員会の現地調査でも、マスコミ報道でも明らかのとおり、宮田市議の実弟が本件土地の隣地に居住し、本件土地の管理を委託され、その出入り用の鍵を託され、自己所有の猟犬用の小屋利用を行っていたことも判明した。

  以上の経緯に鑑みると、川崎市の本件土地の「取得価格の正当性」の主張は住民訴訟の1審判決、2審判決によって斥けられ、それにもかかわらず、川崎市は本件土地の先行取得につき反省の態度を見せず、実質上この判決内容に背く態度をとりつづけてきたが、今や、自らの評価においても本件土地の取得が以上に高額であったことを認めざるを得ない状況となった(バブル経済崩壊後の平成8年12月の取得時と現時点における価格格差、ましてや南伊豆の山林等の価格格差がそう大きなものではないと判断するのは極めて妥当である)。
  そうだとすると、川崎市がオンブズマン主張をようやく「自認」した現時点において、行政の正義の実践、公正・民主化の担保として、そして、行政の信頼の回復のために、原点に立ちかえって真相究明を行い、関係者の責任追及(職員の処分、告訴告発問題)と再発防止に向けての制度的、構造的改革を行うべきことが強く求められるところとなっている。同時に川崎市議会も、百条委員会を今こそ設置し、真相究明と責任追及、そして再発防止に向けて徹底した審議を行うべきところとなっている。「悪い奴ほどよく眠る」は映画の世界に閉じ込め、利得をむさぼったものへの責任追及は徹底的に究明される必要がある。

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全国原爆症集団認定訴訟 /渡辺登代美 2007.12.12

2016年8月17日 水曜日

広島、長崎に原爆が投下されてから60年。全国に被爆者健康手帳をもつ者は約285,000人いる。このうち、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(援護法)」に基づいて認定を受け、医療特別手当を受給しているのはわずか2100名、全被爆者の0.76%にすぎない。認定者の実数は、この20年、2000人前後で推移している。被爆者の救済よりも、予算の枠によって認定制度が運用されている。被爆者はこの認定制度を、被爆者切捨てのための制度であると考えている。

  原爆症の認定を求めた裁判は過去6件ある。うち1件は敗訴したものの、3件は勝訴確定、2004年3月31日には、東京地裁で東裁判が勝訴した。松谷裁判では最高裁で勝訴判決が確定したが、国はその政策を変える姿勢を一向に示さないばかりか、むしろ認定基準を一層厳しく運用し始めている。

  個別訴訟では国の政策を変えられない。国の原爆症認定行政の根本的な転換を求めることを直接の目的として、集団認定申請・集団訴訟運動が取組まれた。

  2003年4月、札幌、名古屋、長崎地裁の合計7名で始まった集団提訴運動は、続いて東京(30名)、千葉、大阪、広島(40名)、長崎(30名)、熊本(20名)、仙台、静岡、鹿児島と続々と提訴がなされた。2005年7月末現在、17都道府県12地裁で、167名が闘っている。

  横浜は、2004年9月30日提訴。全国で一番遅い。原告は7名。6回弁論を行なったが、まだ被爆の実態や現行認定制度の誤りに関する総論準備書面を闘わせている段階で、証人尋問等の立証が始まるのは春~夏ころと予想される。
  2005年12月に大阪が結審し、続いて東京と名古屋も今年度中に結審の予定。近いうちに判決が見込まれるため、横浜の裁判所はそれを見てからゆっくりと考えているのだろう、特に進行を急ぐことは全くない。

  全国の運動的には、「このまま個別地裁で判決を積み重ねても、現行認定制度の改善にはつながらない。もう一度全国的に集団認定運動を取り組み、集団提訴をしよう。」ということになっている。しかし、現段階でも、被爆者の中にあってさえも、集団訴訟の意義が浸透して被爆者全体の運動になるまでになっていない。個別の被爆者の救済訴訟だと考えている人たちが少なくない。ほんとうに再度の集団認定運動に取組むことができるのかも訴訟と並ぶ大きな課題である。

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鶴見駅事件 14年目の職場復帰 /藤田温久 2007.12.12

2016年8月17日 水曜日

 鶴見駅事件とは、国労横浜支部鶴見駅分会副分会長S氏(1990年7月1日)、同分会書記長H氏(1991年2月9日)に対する鶴見駅から東京ベンディングへの強制配転命令と、同分会執行委員N氏(1990年11月17日)に対する懲戒解雇処分が、なかったものとして原職に復帰させること、バックペイ、国労分会への差別、支配介入の禁止、ポストノーチスを求めて神奈川地労委へ救済申立した事件です。

  S氏配転の理由は「接客に不向き」、H氏配転の理由は「接客に不向き」「助役ポストなどを壊した」、N氏懲戒解雇の理由は「助役を殴って傷害を負わせた」などというものでした。 しかし、審問を通じ、「接客に不向き」の根拠はことごとく破綻し、東京ベンディングが国労組合員(特に役員クラス)の強制収容所となっていることが明白となり、また、N氏の「暴行」が助役による人間性を無視した計画的で非道な暴言挑発により引き起こされたものであること、他労組組合員の同種事例との異様な処分格差などが次々と暴露されました。

 神奈川地労委は、1994年11月30日に、申立をほぼ認める救済命令を発し、JR側再審査申立により中労委へ係属されましたが、その後、8年間にわたる冬眠を余儀なくされました。
2003年6月24日、「政治解決」は破綻し、復活した中労委は再び労働者を全面的に救済する命令を発しました。

 更に、JRは、行訴に持ち込みましたが、東京地裁民事第36部は、2004年9月27日、JR側の請求を棄却する判決を言い渡しました。同時に、緊急命令が発せられ、S、H、N各氏に対する処分がなかったものとして原職復帰、バックペイをJRに対し命じた。これを受け、JRは「訴訟上の制約があるため」などと泣きごとを言いつつ緊急命令に従うことを通告し、3人全員に(原職復帰のための)研修を行い、原職へ復帰させました。
とりわけ、解雇されていたN氏にとっては、14年ぶりの正規の職場への復帰でした。余りにも長い14年でした。 懲戒解雇処分無効・原状回復を命じた判決は、JR復帰後の判決としては画期的なことでした。

 しかし、JRは、不当にも控訴し、事件は、東京高裁第7民事部へ係属しました。

最終和解

 2005年8月2日、1年近く続いた和解交渉は労働者側のほぼ全面的勝利を認める内容で和解成立となりました。S、H、Nの原職復帰、Nへのバックペイ、Nへの今後の職場の斡旋と条件の確保などです。 懲戒解雇されて職場復帰を果たしたのは、国鉄以来、人活原告団に続いて2例目という画期的なものでした。 「暴力事件」を覆したという意味では初めてのケースであり、Hの件と並んで画期的勝利です。まさに、一丸となった体制と「決意」、当該とりわけNの執念、そして弁護団の第1審における徹底的な準備と闘いが導いた勝利でした。

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自民党新憲法草案に反対する /三嶋健 2007.12.12

2016年8月17日 水曜日

1、保守色薄めた草案?
 自民党は結党50周年党大会で新憲法草案を発表しました。草案について、「保守色を抑制した内容になった」「あえて自民党色を薄めた」というのが自民党が公表した新憲法草案に対する新聞各紙の論評でした。改憲派の雄である「中曽根元首相が草案に怒り」との報道もありました。
  しかし、草案は、戦後日本を「平和国家」として規定している現行憲法前文、9条の平和主義を廃棄し、「戦争する国」に変貌させてしまうものであり、自民党が結党以来一貫して追求してきた再軍備を実現するものであり、「保守色を抑制」とか「自民党色を薄めた」と評価されるものとは到底言えません。

2、平和国家をやめて戦争をする国へ
 草案は、現行前文を全面的に書き改め、侵略戦争の反省のうえに明記されている不戦の決意と平和的生存権の保障を削除しています。また、憲法9条を含む第二章の表題「戦争の放棄」を「安全保障」に変え、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた憲法9条2項を廃棄し、自衛軍の保持と自衛軍による国際的に協調して行われる活動を明記した9条の2を新設しました。
  これは、すでに世界有数の軍事力となっている自衛隊の現状を追認するだけではなく、自衛軍を国際協調主義の名の下に、アメリカが組織する多国籍軍に参加する道を開くものです。仮に、現時点で、憲法が草案通りの内容であったとしたら、自衛隊は、アメリカの要請に応じて、多国籍軍の一員としてイラクを攻撃し、占領後はイラクの抵抗勢力と銃火を交えていたことになっていたでしょう。

3、戦争への協力の強要
 さらに、草案は、前文で国民に対して、「国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務」を課し、12条、13条で人権を「公益及び公の秩序に反しない」限り尊重されるとしています。すなわち、イラクに自衛軍が派兵されれば、国民は自衛軍を支持することを強制され、海外派兵に反対する自由を制限されることになりかねない危険性をはらむものです。

4、憲法の平和主義を守ろう。
 草案はまさに私達に戦争に協力することを迫るものなのです。
  神奈川では昨年2月、5000名の人を集めて『九条の会』をきく県民のつどいが成功しました。川崎でも、「かわさき9条の会」が、7月に、1000名を越える集会を成功させています。地域毎に9条の会が組織されています。
  今年は、平和憲法を守る闘いがいよいよ正念場を迎えます。多くの人と手を携えて、前文、9条の平和主義を守りましょう。

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大船自動車学校 解散解雇事件最高裁で判決確定 全面勝利 /藤田温久

2016年8月17日 水曜日

1、本事件につき、東京高裁第14民事部は、今年5月31日、原審に続き再び、労働者側の全面勝利判決を言い渡しました。

2、事案
(1)(株)勝英(岡山県、以下「勝英」)は、2000年10月31日、大船自動車学校(「湘南センチュリーモータースクール」に名称変更)を経営する大船自動車興業(株)(以下「大船興業」)の株式を全部取得しました。

(2)突然の解雇予告と退職届
 新経営陣は、全従業員に対し、11月16日「11月末日までに退職届を出さない者は12月15日をもって大船興業を解雇する。退職届を出した者は、勝英に正社員として雇用し、大船興業に出向させる」旨の通告しました。
  しかし、退職届を出すことは、勝英の劣悪な労働条件への切り下げ(労働時間の大幅延長、大幅減給)、「全員課長」(全く部下のいない名目だけの一人課長にして残業代不支給、組合脱退を図る)などを認めることに他ならず、自交総連神自教大船自校支部(以下「大船支部」)は退職届を提出しませんでした。

(3)営業譲渡と解散
  大船興業は勝英と、12月15日、「湘南センチュリーモータースクール」の営業全部を譲渡する契約を締結しました(以下、「本件営業譲渡契約」)。
  また、大船興業は、前同日、臨時株主総会で、本件営業譲渡を承認し、同社の解散を決議し、解散にともない、大船支部員らを全員解雇しました。
  勝英は、退職届を出した従業員を雇用し、大船支部員らは雇用しませんでした。

3、原審判決
9人の大船支部員は、勝英に対し、地位確認、未払賃金支払などを求め提訴し、2003年12月16日、横浜地裁第7民事部は、以下の通り、原告ら勝利の画期的判決を言い渡しました。

(1)解雇の効力
1.大船興業と勝英は、遅くも本件営業譲渡契約締結時までにa「営業譲渡に伴い従業員を移行させることを『原則』とする」、しかしb「相当程度の労働条件切り下げに異議のある従業員を個別に排除する『目的』達成の『手段』として、退職届を出した者と勝英が再雇用し、退職届を出さない者は解散を理由に解雇する」と合意した、
2.1の合意は、aは有効だが、bは民法90条(公序良俗)に反し無効である。
3.本件営業譲渡契約中の「勝英は大船興業の従業員の雇用を引き継がない。但し、11月30日までに再就職を希望した者は新たに雇用する。」との規定は、1bの『目的』に沿うように符節を合わせたものであり、同様に民法90条(公序良俗)に反し無効である、
4.以上、原告らに対する解雇は、形式上解散を理由にするが、1bの『目的』で行われたものであり、解雇権の濫用として無効である。

(2)労働契約の承継の有無
  原審判決は、営業譲渡契約に伴う「当然承継」は否定し、譲渡人と譲受人の特別の合意を要するとした上で、(1)4により原告らは解散時に大船興業の従業員としての地位を有することになり、(1)1の合意aの『原則』通り営業譲渡の効力が生じる2000年12月16日に労働契約の当事者としての地位が勝英との関係で承継される、としました。

(3)バックペイ(賃金未払いの支払い)も全面的に認容されました。

4、控訴審判決(本判決)
(一)本判決は、原審判決のうち、(一)解雇の効力(二)労働契約の承継の有無についての判断は、全面的に支持しました。
(二)他方、会社のバックペイの減額を図る主張について、新たに正当な判断を下しました。すなわち、会社は、バックペイ算定の基礎である平均賃金額算定につき、1.現実に勤務して初めて認められる時間外手当、休日手当、2.教習内容、時間により支給される路上教習手当、高齢者教習手当、3.実費補償的手当である食事手当等を、控除するよう主張しました。しかし、本判決は、会社に責任のある事由により労務の提供という債務の履行ができない場合、会社は民法の規定により賃金支払義務を負う。つまり、労働者らが現実に勤務しないことを理由に1.2.3.各手当を平均賃金額算定の基礎から控除することはできない、としたのです。
  本判決は、本判決確定までのバックペイを認め、かつ仮執行宣言を付しました。

5、本判決の意義
今、わが国では、労働条件の大幅切り下げ、リストラ・合理化に抵抗する労働者の排除の手段として、「法人格」が悪用されています。A社の「解散」B社への「営業譲渡」により、実態は何も変わらないのに、A社の労働者は、「別法人」であるB社に対し「採用」される権利を主張できない、とする「手法」はその典型的なものです。本判決は、かかる「法人格の悪用」を、営業譲渡についての実態に則した明快な意思解釈によって断罪した画期的な原審を一切の後退なく支持した高裁判決として極めて重要な意義があります。

  「解散」「解雇」になっても、頑張ることができる。あきらめなくても良い。
  それを支える判決なのです。

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神奈川でも進行する「日の丸・君が代」の強制 /川口彩子 

2016年8月17日 水曜日

 卒業式・入学式の国歌斉唱時、教職員が起立しないと処分される―。

  2004年の卒業式から2005年の入学式に至るまで、東京都で、不起立や君が代伴奏拒否によって処分を受けた教員はのべ300人を数える。1回目の不起立は戒告処分でも、2回目以降は減給となり、4回目には停職となる。定年後に嘱託となった教員は、たった1回、わずか40秒の不起立で解雇され、翌年度の教壇から追われた。最近では、在職中に1回でも不起立を行った教員は、嘱託員として採用しないという事態となっている。

 石原都政の下、極めて強権的に行われてきた日の丸・君が代の強制であるが、神奈川県でも東京都の後を追うように、事態が進行しつつある。

  昨年、神奈川県教委は教育長名で、全ての県立学校長に対し、「入学式及び卒業式における国旗の掲揚及び国歌の斉唱の指導の徹底について(通知)」と称する通知を発令し、県立学校における日の丸・君が代の強制を強めてきた。

  2005年は、東京と同じような懲戒処分こそはなされなかったものの、卒業式・入学式には、監視役の県会議員の「招待」が行われ、初めて、学校ごとの不起立者の人数を具体的に問うアンケートが行われた。不起立を貫いた教員に対しては、校長・教頭が狙い撃ち的に呼び出しを行い、今後は起立するようにという強い「指導」がなされ、なかには教員に対し、なぜ起立しなかったのかという理由を問い質す学校や、立ったか立たなかったかの自白を求めるアンケートを実施した学校もあった。こうした具体的な動きは、昨年のレベルを遥かに上回るものであり、教員の意思決定の自由、思想良心にしたがった行動の自由を奪う「強制」であることは間違いない。

 今年9月20日、神奈川県教育正常化連絡協議会なる団体から「卒業式・入学式における国歌斉唱についての請願」が県議会に提出された。この団体は、新しい歴史教科書をつくる会の神奈川県の代表である小関邦衛氏が同じく代表を務める右翼的な団体である。その請願の要旨は、不起立の教員は処分しろ、君が代斉唱には指揮を行いピアノで伴奏でしろというものであり、請願の理由の中には次のようなフレーズがある。

  「国歌斉唱時に起立しないことは、国歌に対する最大限の侮辱であり、露骨な冒とく行為で、決して許されないというのが世界の常識です。公人である教職員が、このような非常識な行為を授業の一環である式典において生徒の面前で行うことは、生徒の学ぶ権利を侵害し式を混乱させるものといわざるをえません。こうした事態を放置すれば、教育委員会の指導は無視され、混乱が拡大することは必至です。」

  実は、この神奈川県教育正常化連絡協議会は、昨年も神奈川県議会に対し請願を提出した。その請願は、東京と同じような形式(壇上正面に日の丸を掲揚、君が代斉唱時は日の丸に向かって起立して斉唱、君が代斉唱はピアノ伴奏による、舞台壇上で卒業証書を授与、教職員が校長の指示に従わない場合や式典を妨害した場合は服務上の責任を問う)でやれというものであり、自由法曹団神奈川支部や青年法律家協会では対抗する陳情も提出して、請願採択阻止をねらったのであるが、神奈川県議会は、この請願を賛成多数で採択した。現在の状況では、教育のことも憲法のことも世界の常識も何も分からない議員たちによって、今年の請願も採択されかねない。

  教育基本法10条1項は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と定めている。このような請願を採択して、県教委に対し教員の処分を迫る県議会は「不当な支配」そのものである。
今年7月27日、神奈川県立高等学校、神奈川県立養護学校の教職員107名が原告となって、神奈川県(神奈川県教委)を相手に「国旗国歌忠誠義務不存在確認訴訟」を提起した。

  国歌斉唱時に起立するか否かは、個人が国家とどう向き合うか、君が代をどのように評価するかという問題であり、憲法で保障される思想・良心の自由の内容そのものである。このような自由が教職員に保障されることはとても大事なことで、教職員の自由なくして児童・生徒の自由はありえない。いま、学校内の自由が脅かされている。原告107名という数に、教職員の危機感が表れている。卒業式・入学式は、国家のためのものではなく、生徒のためのものである。学校内の自由をまもり、生徒が思い出いっぱいに学校を巣立っていく卒業式、期待に胸をふくらませて門をくぐる入学式を全力でまもっていきたい。

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