トピックス
裁判員裁判体験記/石井眞紀子 2010.6
2016年8月17日 水曜日
2009年5月から、裁判員裁判制度がスタートしました。
もしあなたが、裁判員候補者となったら、どうしますか?
お仕事や育児などの都合で辞退を希望しますか?
それとも、覚悟を決めて、3日~5日もある連日の裁判に、じっくり取り組んでいただけるでしょうか。
当事務所の弁護士にも、続々と裁判員裁判対象の国選弁護事件がまわってきています。私も、先日、事務所のもう一人の弁護士と共に一件担当しました。
連日の裁判は、弁護人にとっても過酷な経験でしたが、一般の皆様にも負担は非常に大きいと思います。それでも、もし、裁判員の候補者になってしまったら、ぜひ積極的に刑事裁判というものを体験していただきたいと思うのです。
私が担当した裁判のおおまかな流れは、以下のとおりでした。
■1日目
午前中 裁判員候補者選定手続
裁判員候補者の方々の面接の後、コンピュータによる抽選が行われ、その中から裁判員6名と、補充裁判員となる2名の計8名が選ばれます(人数は事件により異なります)。
面接といっても、6~7人程度の集団で何回かに分けて行われ、辞退の希望など特に裁判官に話をしておきたい人だけが、個別に呼ばれて話す機会があります。
辞退が認められた人、抽選にはずれた人は、その時点で帰ることができます。幸か不幸か抽選に大当たりした方は、裁判官から別室でさらに説明などを受けて、午前中は終了です。
午後 公判開始
午後からすぐに公判開始です。裁判員の方は、裁判官の横に用意された壇上の席に座ります。
この日のメインは、検察官による立証です。証拠の内容を逐一説明したり、朗読したりという作業が続きます。時間は、1時間程度。検察官は、一般の方にわかりやすいように、一覧できる資料を用意し、画面を駆使しながら、熱心に説明していました。
続いて弁護人の番です。
弁護人は、検察官の立証は十分かどうかという観点から、その矛盾点を突いて争ったり、事実に争いのない事件であれば、被告人に有利な事情などを立証したりしていきます。私もプレゼンテーションをがんばりましたが、果たして裁判員の方にわかりやすく伝わったかどうか。
これで一日目は終了です。
■2日目 証人尋問
朝から夕方まで、計3人の証人の尋問が行われました。
途中、裁判官と裁判員が、自由に意見を交換する「評議」が行われます。この日は、評議の時間が2時間程度取られていました。評議で何を話したのかは、守秘義務があるので一切秘密。私たち弁護人も、知りたいところですが知ることはできません。
■3日目 被告人質問その他
被告人の登場です。弁護人から、30分程度、被告人に質問をした後、検察官が質問します。そしてその後は裁判官、続いてこの頃になると、裁判員の方も慣れてきたのか、いくつか質問をしていました。
その後、これまでの裁判の経過をふまえて、検察官が改めて、被告人にはどのような罪を科すべきかという意見を述べます。続いて弁護人も、事件や被告人に関する同情すべき事情などを述べて、刑を軽くするべきとの意見を述べます。もちろん、事件によっては、検察官の立証の矛盾を突き、合理的疑いを差し挟むことによって無罪を目指します。
最後に、被告人に対し、最後に言っておきたいことはありますか、との問が裁判長よりなされ、被告人が意見を言ったり言わなかったり(黙秘権がありますので)で終了です。
裁判員の方は、ここで評議室に戻って、裁判官と一緒に評議します。
■4日目 判決
判決は、午後3時に予定されていて、時間ぴったりに言い渡されました。
もちろん、裁判員の方は、朝から3時まで、みっちり裁判官と評議です。
裁判の終了後は、裁判員の記者会見が行われたようです。まだまだ制度に対する関心が高いためか、連日記者を含めた傍聴人がたくさん傍聴していました。
ところで、刑事裁判というのは、いろいろなルールが厳しく決められていて、一般の方には実は非常にわかりにくい手続だと思います。下手すると、職業裁判官と一緒に評議といっても、裁判官がルールを説明するだけで終わってしまうかもしれません。今回私が担当した事件でも、「もしかして、評議の間中、裁判官が1人(いや3人ですが)でしゃべっていたのでは?」などと勘ぐってしまうような判決が出ました。つまり、判決の判断も、その理由も、これまでの職業裁判官による刑事裁判と、ほとんど変わるところがなかった、ということです。
裁判員裁判は、通常の事件よりも明らかに時間がかかると言われています。全国で裁判員裁判事件が滞留しているとのニュースも耳にします。弁護人も複数選任される例が多く、検察官もプレゼンの為に相当の準備をすると思われ、1件あたりで考えても相当額の税金が投入されています。裁判所の一角が、裁判員裁判対応のために、素敵に改装されたのも驚きです。裁判員裁判対策室だったか、大きな部屋まで出来ていました。これはまさに、一大国家的プロジェクトなわけです。
そんなプロジェクトが、果たして裁判官が市民に手続を説明し、市民が頷いているだけの場に終わってしまっていいのかどうか。また、市民感覚といいつつも、実は単純な応報感情からむやみに厳罰化に走っていないかどうか。対象事件に性犯罪が含まれているが、被害者のプライバシーへの配慮は十分なのかどうか。被告人が、適正公平な裁判を受ける憲法上の権利は全うされているのかどうか。等々。いろいろな問題点を抱えたままスタートした裁判員制度は、未だ関係者全員が手探りで進めている状態です。この新しい制度の行方は、これから選ばれる裁判員の皆様の活躍にもかかっているとも言えるのです。
裁判員制度は、施行3年経過後に見直しが予定されています。制度にかかわる弁護士として、そのときをにらんで問題点を改善していく努力を惜しまないつもりです。皆様も、もし裁判員候補者になってしまったら、ぜひ、辞退などせずに、体験してみることで一緒にこの制度の問題点を考えていきませんか。
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|時効廃止で冤罪が増えてもいいのか【朝日新聞特集記事】/ 岩村智文 2010.2.20
2016年8月17日 水曜日
朝日新聞2010年2月20日朝刊において、「時効廃止で冤罪が増えてもいいのか 世論にすり寄る現場軽視の官僚主義 あなたは納得してますか」と題して特集が組まれ、弁護士岩村智文の記事が掲載されました。
未解決事件の被害者遺族などから「時効廃止」を求める声が強まる中、殺人罪などの時効を廃止する刑事訴訟法改正案が提出され、2010年6月にも成立・施行される見通しの中、岩村弁護士は、日本弁護士連合会の公訴時効検討ワーキンググループ座長として、制度全体の均衡を吟味し、十分な議論を尽くさないまま、極めて短期間で、時効廃止することに、警鐘を鳴らしており、公訴時効廃止に反対の立場を示しています。
岩村弁護士の反対論は、説得的な根拠ある反対論であり、「被害感情が強いのだから、時効廃止制度改正はやむなし」と考える方にとっても、一読することをおすすめる興味深い内容となっています。詳しい内容は、こちらのPDF(topics_21.pdf | 1.8MB)をご参照ください。
出展 ─ 「2010年2月20日朝日新聞朝刊15面より」
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|弁護士 篠原義仁 雑誌『法学セミナー』記事掲載 / 2007.12
2016年8月17日 水曜日
雑誌『法学セミナー』12月号において、「リーガル・サービスと法律家像の未来」と題して特集が組まれ、弁護士篠原義仁の記事が掲載されました。
「現場主義で公害問題に取り組む」と題して、公害裁判に関わるようになった経緯や公害裁判が果たした役割、公害裁判以外にも税金闘争や労働事件に取り組んできたことなどが紹介され、弁護士の活動は必ずしもリーガル・サービスという言葉では表すことはできないという思いが語られています。
法学セミナー 『法学セミナー 2007.12』 636号
発売日 2007.11.12
発行元 日本評論社
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|東京大気汚染公害裁判で勝利和解成立 /西村隆雄 2007.8.30
2016年8月17日 水曜日
さる8月8日,東京高等裁判所第8民事部,東京地方裁判所民事第6部において,東京大気汚染公害裁判の和解が成立しました。
本和解は,トヨタをはじめ自動車メーカーの解決金(12億円)支払いに加えて,国,首都高速道路会社,自動車メーカー,東京都の負担による東京都の医療費助成制度の創設と,公害対策の実施をかちとった点で,大変大きな意義を有するものです。
これは1996年5月の提訴以来一貫して,『現在進行形の公害とのたたかい』をアピールし,ディーゼル汚染の根絶と被害者救済制度の確立を求め続けてきた原告患者さん達の願いを,これを支援する個人,団体が支え,励まして,広範な世論に訴えてきたことが大きく実を結んだ成果といえます。
今後は,本和解でかちとった医療費助成制度の周知をはかり,幅広い被害の救済をはかっていくとともに,和解条項にある「5年後の制度見直し」を念頭に,より多くの被害者の結集をはかっていくことが重要です。そして,一方で国に対して公害健康被害補償法並みの被害者救済制度の創設を求めるとともに,東京都に対しても医療費助成制度の充実・強化を求めて奮闘していくことになります。
あわせて,本和解では,速やかな環境基準の達成のため,都内の交通負荷の軽減,道路交通に起因する大気汚染の軽減をはかるための公害対策をかちとりましたが,とりわけ,PM2.5(微小粒子)の環境基準を設定させ,大型車の走行規制をはじめとした実効性ある対策の実施をめざして,全力で取組んでいきます。
ところで,原告らは被告メーカー7社に対し,この間一貫して,和解成立にあたって,過去の行為に対する反省と今後に対する決意表明を求めてきましたが,結局,メーカー側はこれを拒んで一切応じようとしませんでした。
しかし一方で,メーカー側は,本和解において,裁判所の勧告にしたがって,医療費救済制度財源33億円と解決金12億円の負担を決断しましたが,これはメーカーらの過去の行為に対する責任を抜きには説明がつかない額と内容となっています。
にもかかわらず頑なに見解表明を拒否し続けたメーカー側の対応は,トップ自ら見解表明を行った安倍首相,石原東京都知事と対比しても全くもって不当という他なく,原告の皆さんはこのことを胸に刻んで,今後とも自動車メーカーの責任を追及していく決意を固めています。
和解の成立は,11年余にわたる長い裁判闘争の終結の日であるとともに,「誰もが安心して吸える空気」をとり戻すたたかいの新たなスタートラインでもあります。
東京に,そしてわが国にほんとうの青空を
この思いを共通にするより多くの皆さんと手を結びあって,今後とも頑張っていきたいと思います。
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|税金の無駄遣い 誰が責任を取るのか /篠原義仁 2007.12.12
2016年8月17日 水曜日
本当に「財政難」か
10月28日に「こんな税金のムダ遣い、許せますか─川崎市民のつどい」が開催された。
川崎市が川崎土地開発公社(市が100%出資)に先行取得させた土地が「利用目的があいまい」「有力者介在の政治的取得」の結果、長年にわたって有効活用されず、「塩漬け」状態となっている。多くの地方自治体が「財政難」を口実に、福祉、医療、教育、公害環境の予算を大幅に削減している。しかし、実態は、財源がないのではなくムダな公共事業の展開(その象徴が「塩漬け土地」の存在)を策し、失政に失政を重ねていることに主因があり、市民生活切り捨ての諸施策を「財政難」を口実に正当化することは許されない。
「塩漬け土地」のうち静岡県南伊豆保養所用地は6億超円で購入したのに、昨年12月何と5,570万円で安値売却され、岩手県東和町保養所用地は8億円もの金をかけながら、ついに有効活用できず、今年3月東和町に無償譲渡された。
一方、第三セクターかわさき港コンテナターミナル㈱は、市のふれ込みに反し赤字決算をつづけ、ついに破産。大師インターで打ち止め濃厚の高速川崎縦貫道への無為な出資等々、大規模開発の失政は目を覆うばかりとなっている。
下水道談合、水道メーター談合、川崎北部病院談合と地方自治体レベルでの談合も多発し、高値落札の結果、市財政に重大な影響を来たしている。
何とかしなければならない。10・28企画はそんな思いから「改革の第一歩、事実を知ろう」、を合言葉に開催された。
10・8「塩漬け」バスツアー
県外の保養所用地の外、川崎市内にも数多くの塩漬け土地が存在する。
用地取得費104億円に対し、現時点の支払利息が何と86億円―その上利用のメド立たず、というアキれた土地。取得費9.4億円に対し、支払利息が16億円の長期塩漬け土地。現在の路線価が19万円/㎡及び20.5万円/㎡に対し、何と54.4万円/㎡及び74.8万円/㎡の異常高値買収の土地。看護婦養成施設用地、小学校用地として買収しておきながら不適格用地のため転用利用するしかない土地、川崎市側からの接道がない、そもそも利用不能の土地。
そんな「塩漬け土地」を検証するバスツアーが、10月8日に行われ、参加者の「知ってびっくり、怒りの噴出」企画となった。
ちなみに私たちの取組みはテレビ番組「スーパーモーニング」に9月29日に放映され、次いで10月20日には10・8企画を中心に再び20分枠で放映され、全国的にも全市的にも大きな話題となっている。
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|横須賀米軍兵士による強盗殺人事件 /渡辺登代美 2007.12.12
2016年8月17日 水曜日
2006年1月3日午前6時30分から40分ころ、神奈川県横須賀市で佐藤好重(よしえ)さん(56歳)が、空母キティホークの乗組員である米兵に殴り殺された。前夜から酒を飲んでいた米兵は、さらに飲む金を強奪するために出勤途中の好重さんを襲った。
泣き叫ぶ好重さんに対し、顔面を殴打し、コンクリート壁の角部分に打ちつけ、足で踏みつけ、さらには身体をつかんで左右の壁に繰り返し打ちつけるなどの激しい暴行を加えた。好重さんが口から血の泡を吹き、全く声もあげず身動きしなくなるまで。
この結果好重さんは、多数の肋骨を直線状に骨折し、折れた肋骨が肺に刺さって肺が破裂、腎臓と肝臓も破裂という痛ましい状態だった。顔に至ってはほとんど元の姿かたちを留めないほどだったという。
事件から9か月、好重さんの内縁の夫山崎正則さんが立ち上がった。数年前から一緒に暮らしており、この4月には入籍する予定だった。「彼女が死んだのは米軍基地があるからだ。米軍基地がある限り、また彼女のような犠牲者が必ず出てしまう。」山崎さんと、好重さんの相続人(養子2名)が10月20日、国を相手に横浜地裁に損害賠償請求訴訟を提起した。
提訴直後の自由法曹団総会で、山崎さんが全国の団員に支援を訴えた。「米軍基地をなくせ。日本から米軍は出て行け。」全国の団員がこれに応え、弁護団は沖縄から北海道まで120名を超える。
第1回弁論は12月20日(水)午後1時30分に決まった。弁護団員のひとりは沖縄から参加する。
労働組合活動もあまり積極的にはしてこなかったという山崎さんが、好重さんのためにひとりでも闘う決意を固めた。好重さんのことを話すと今でも泣いてしまう山崎さん。そんな山崎さんの訴えを聞けば、あなたもきっと支援に駆けつけたくなる。
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|三セクの「損失補償」は違法 /篠原義仁 2007.12.12
2016年8月17日 水曜日
1.今、全国各地で市民オンブズマンの手によって税金のムダ遣いを追及する取り組みが進んでいます。官官接待、食糧費問題、各種ウラ金づくりとその費消。官民癒着の構造のなかでの談合問題(高値落札)。税金のムダ遣いはあとを断ちません。
その一方で、ムダ遣いの結果として作り出された「財政難」を口実にして、福祉、介護、医療、教育、公害環境予算が大幅に削減されています。限られた財源であっても税金はないのではなく、税金の使い途が間違っている結果として、「財政難」が作り出され、私たちの生活関連予算が、不当にも削減されています。
2.この税金のムダ遣いの典型としてムダな大型公共事業の推進があり、それとセットになった形で第三セクターへの公金(税金)の支出問題があります。
かわさき市民オンブズマン(事務局事務所は川崎合同法律事務所)は、経営破綻した「かわさき港コンテナターミナル株式会社」(KCT)について、川崎市が赤字必至の港湾事業の第三セクターに資本投下(50.8%の筆頭株主)しただけでなく、KCTの銀行融資に関連して前市長が「損失補償」したことにつき、その違法性を主張して住民訴訟を提起しました。
その判決言渡が、11月15日、横浜地方裁判所で行われ、住民側の実質勝訴(形式上は敗訴)の判決が言い渡されました。
3.前提事実としては、KCTは、1994年、川崎港の貨物船の荷(コンテナ)の積み下ろしを主な業務として設立されましたが、東京港、横浜港に挟まれた「ビルの谷間のラーメン屋」と評されたとおり、大型コンテナ船の寄港はごくわずかで業績が伸びず、設立当初から赤字を重ね、数次にわたる川崎市の財政的支援もむなしく(これも無駄な税金投下)、04年にオンブズマンが指摘したとおり破産しました。その破産の跡仕未として損失補償協定に基づき、協定の限度額9億円を川崎市が銀行に支払い、その違法性が住民訴訟で争われることとなりました。
判決は、この損失補償協定を、財政援助制限法(地方自治体の財政を圧迫しないため違法、不当な財政援助を禁止している法律)で禁止している「保証契約」に該るとして、オンブズマン主張をうけ入れて損失補償契約は違法と判断し、川崎市の措置は法を潜脱するものと厳しく指弾しました。
すなわち、川崎市に限らず多くの地方自治体は法の制限を免れるため、実質上は保証契約なのに契約(協定)の形式を損失補償契約と呼び、若干の契約条項については保証契約とは異なる文言を置いて、まさに「法の潜脱」を図ってきました。今回の判決は、それを許容せず、実質は保証契約として断罪したものです(但し、損害金の返還請求自体は、返還時点での現市長に過失なしとして棄却)。
4.オンブズマンは「三セクへの損失補償協定が違法と判断されたのは、全国で初めてのことで画期的で、見事なくらい我々の実質勝訴だ」と判決を評価し、判決の及ぼす社会的影響についても「自治体が三セクのために金融機関と損失補償協定を結ぶのは全国的にみて一般的。従って、今回の地裁判断は全国的に影響を及ぼすのは必至で」「公金支出について自治体の新たな指針となる」と分析しているところです(詳細は11月16日付各紙新聞報道参照)。
判決全文(裁判所の判例集ページ)
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|式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 /川口彩子 2007.12.12
2016年8月17日 水曜日
私が弁護団に入ったわけ
私の父は現役の都立高校教員である。また母は2年半前に退職してしまったけれど,東京都の小学校教員であった。幼い頃から,教育現場は,私にとって日常の話だった。
父からは,10.23通達が出される何年か前から,卒業式に日の丸・君が代が入り込んできている話を聞いていた。式の中に君が代がむりやり入れられた,式次第にも書き込まなきゃいけなくなった,式次第には君が代じゃダメで国歌と書かなきゃダメだ,国歌斉唱と書かなきゃダメだ…。
一方,週案の提出が義務付けられたり,主幹制が導入されるなど,教員に対する統制が強まっている話も聞いていた。学校が息苦しくなってきて,母は退職する数年前から,早く辞めたい,早く辞めたいと言うようになっていた。母が早く辞めたいと言い出したころ,私は,母が誇りをもって,生きがいとして続けてきた「教師」としての仕事なのだから,定年前に辞めるというのはなにか挫折のような気がして,「頑張って続けなよ」と励ましてきた。しかし,学校現場の話を聞くにつけ,学校から自由がなくなっていること,そして未来に希望が持てないことを,私自身も感じられるようになり,無理して続ける方がかわいそうに思えてきた。そしてついには「辞めてもいいよ」と言えるようになり,母も2003年度をもって退職することを決意した。
そのような中の10.23通達だった。通達が出された3日後,私は自由法曹団の全国総会の場で,10.23通達の話を聞いた。処分を前提に起立斉唱を強制する内容に本当に驚いた。家に帰って父に「大変なんじゃないの?」と聞くと,父は「そうなんだよ。それでみんな,組合も,どうすんだどうすんだって大変なんだよ。」と言った。全国総会の場で,「サワフジ先生が無名抗告訴訟をやらないかと言っている」という話は小耳に挟んだのだが,当時は「サワフジ先生」と面識もなく,「無名抗告訴訟」という言葉も聞いたことがなかったし,本当に裁判になるのかも分からず,興味はあったけれど情報が入らなかった。
2003年12月になって,ようやく訴訟の話が聞こえてきて,同期の紹介で弁護団につながった。家に帰って「弁護団に入ろうと思うんだけど」というと,父は「もう原告になったよ」と言った。(それまで全然知らなかった。なんで話してくれなかったんだろう?)父に「娘が弁護団だとやりにくい?」と聞くと,「そんなことないよ」と言ってくれたので,弁護団に加わる決意をした。父の友人として,同僚として,都立高校の先生には小さいころからお世話になってきた。私にとってはみんな親のようなものだ。都立高校の話は私にとって他人事ではなかった。
学校現場の苦悩
弁護団に加わった私の仕事は訴状の損害論,つまり原告が10.23通達によっていかに苦しみ,悩んでいるかを書くことだった。「現場報告」には,生々しい苦悩が書かれていた。どの教員も,生徒との関係で悩んでいた。絶対的に誤っているこの強制に従うことは,これまで自分が生徒に語りかけてきたことと矛盾する行為である。これまでの教育信念,教育実践を曲げるということは,教員としての自分の人生を自ら辱めるものであるが,10.23通達はそれを教員たちに強要するものだった。繰り返すと処分が重くなり,3回目か4回目には免職になるといわれていた。わずか2年で免職になってしまうという,処分の威力はすさまじかった。生徒との関係,家族との関係,自分の信念を曲げるのか,それとも教員であり続けることに意味があると考えるのか,こんなことがまかり通るなんて許されるのか。頭の中をあらゆる考えがぐるぐるとまわり,体調に変調をきたす教員がたくさんあらわれた。そのなかでも「踏み絵」を踏んでしまった教員は,その尊厳が傷つけられ,精神的被害は著しかった。10.23通達は,教員の教育への情熱を奪うものだった。学校は無力感に覆われていた。
エスカレートする都教委の暴挙
訴訟が始まってからも都教委の暴挙はとどまることがなかった。大量の懲戒処分が蛮行され,嘱託教員はたった1回,40秒間の不起立で,新学期の2日前に突然職を失った。板橋高校は,学校が公安警察にさらされた。生徒の不起立が多かった,生徒に「内心の自由の説明」をした,生徒会が「日の丸・君が代の討論会」を実施したとの理由で,学校に大量の都教委職員が調査に入り,事情聴取を受けさせれ,厳重注意等の「指導」がなされた。夏には「再発防止研修」が実施された。都議会では教育長が,反省の十分でない教員は研修終了とならないので生徒の前に立たせるわけにはいかないといった答弁をしていた。予想された出来事だったが,翌年以降も,過去に不起立をしたことがある者は嘱託に採用してもらえなかった。
私たちは,大量処分に対しては東京都人事委員会で大規模に不服申立てを展開し,嘱託教員の解雇撤回裁判を起こし,再発防止研修に対しては執行停止を申し立て,嘱託が不採用になった教員も次々と提訴した。そして,それぞれの裁判で得られた成果を,各裁判で有機的に活用し,予防訴訟でも原告・証人として合計12人の現職教員の訴えを裁判所に聞いてもらった。保護者も証言台に立った。現職教員である元校長が,都教委の「指導」の詳細を克明に語った。そして大田尭教授,堀尾輝久教授が,学校における自由の必要性を熱く訴えた。
そして判決…!
すごい判決だった。裁判所が「起立しない自由」「ピアノ伴奏をしない自由」を憲法上の権利として認めてくれたのだ。裁判長の口から「いかなる処分もしてはならない」との言葉が出たときは,これまで苦悩して苦悩して苦悩して,影で涙を流してきた原告の先生方の顔が次々と浮かんできて,涙した。
地裁判決は,まるで私たちの訴状のようで,当たり前のことをさらっと書いているのだけれども,それでも「憲法は,13条等によって,原告らの思想と相反する世界観,主義,主張等を持つ者に対しても相互の理解を求めている」との表現に代表されるように,憲法の精神に忠実であり,教育基本法の趣旨を正しく理解して書かれたもので,大変評価できると考えている。
「無謀訴訟」と呼ばれた予防訴訟が,私たちの「希望訴訟」になった。この判決が,全国に勇気と希望を与えたと確信している。そのことが,とても嬉しい。
判決全文(裁判所の判例集ページへ)
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|東京大気汚染公害裁判勝利で きれいな空気をこどもたちへ /西村隆雄
2016年8月17日 水曜日
深刻な大気汚染・広がる被害
首都圏の大気汚染は、1980年代の後半に一気に悪化。都内では、幹線道路沿道のみならず、これから離れた一般地域でも、高濃度の汚染が全域に面的に広がっています。2003年秋からスタートした東京都などのディーゼル規制以降も、なお深刻な汚染が続いています。
このためぜんそく患者は、ますます増加傾向にあり、国が公健法による認定を打ち切った1988年以降、未救済患者は、高額な医療費負担で満足な治療も受けられず、病状は悪化の一途をたどり、失業しても何らの救済もなく、最後は生活保護に頼らざるをえなくなっています。
一次判決を乗りこえて
東京大気汚染公害裁判は、1996年に、ぜん息などの被害者が、国・東京都、首都高、トヨタなどメーカー7社を相手どって提訴しました。
2002年10月の一次東京地裁判決は、被害救済を12時間交通量4万台という巨大幹線道路沿道50mに限定し、面的汚染の因果関係を認めず、原告99名中何と92名の請求を棄却する一方、自動車メーカーの法的責任についてもこれを否定する厳しい判決となりました。
そこで私たちは、この間、この判決を克服し、面的汚染の因果関係と自動車メーカーの法的責任を明らかにすべく主張・立証を重ねてきました。
その一端をご紹介すれば、以下のとおりです。
自動車メーカーの責任
自動車は、ディーゼル車(燃料:軽油)、ガソリン車(燃料:ガソリン)に大別されますが、東京の大気汚染の元凶はディーゼル車。窒素酸化物の67%、浮遊粒子状物質の大半はディーゼル車から排出されているのです。
このディーゼル車、実は1970年代半ば以降のこの20~30年でガソリン車にとってかわって急増。宅急便の2トン積などの小型・中型トラックは、当時ほとんどガソリン車だったのが、大半がディーゼル車になってしまったのです。
それでは、もしこのディーゼル化がなかったら? 水谷洋一静岡大助教授によれば、ガソリンへの転換が可能な中小型トラック・バス、乗用車がガソリン車であったとすると、大型トラック・バスがディーゼル車のままでも、何と、東京都内の自動車からの粒子状物質の74%(1990年)、75%(1999年)がカットできることが判明。このことはメーカー側も一切争っていません。
このディーゼル化は、当時のオイルショック、円高不況で売上げ不振に陥ったメーカーが、燃費の良さを最大のポイントにして大々的な売込みをはかったことによるものです。しかも当時、すでにメーカーは、ディーゼル排ガスの有害性について十分に認識しえた(先の一次判決)のですから、自動車メーカーは法的責任を免れようもありません。
全面的汚染の因果関係
一方、一次判決が救済の範囲を『沿道』に限定した根拠は「千葉大調査」でした。しかし都内では非沿道地域であっても実は千葉大調査の沿道並みの汚染にさらされており、非沿道まで含めた因果関係が認められるべきです。
またその後発表された千葉大調査の結果では、非沿道地域であっても田園部の四倍近い発病危険にさらされており、非沿道まで含めた因果関係は明らかです。
さらに近年欧米では、日々の大気汚染濃度の高い日にぜん息発作が多発するという研究が多数蓄積されており、これらからすれば、自動車排ガス汚染でぜん息発作をくり返し、ぜん息が長期的にも増悪することが明らかとなっているのです。
100万署名で全面勝利判決を
以上の到達点をふまえて、私たちは来年にも予想される判決で、メーカーの加害責任を認め、面的被害を救済する全面勝利判決をかちとり、その上で、自動車メーカーはじめ国・都などの財源負担で新たな被害者救済制度を創設し、公害対策の強化と公害道路建設推進の道路行政の抜本的転換をはかっていきたいと考えています。
そのために、裁判所あての『100万署名』にぜひともご協力下さい。
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|川崎公害裁判の現状と課題 /篠原義仁 2007.12.12
2016年8月17日 水曜日
1999年5月20日、川崎公害裁判は国と首都高速道路公団との間で和解を成立させた(1996年12月25日に企業和解成立)。
それ以降、①被害の救済、②公害の根絶、③環境再生とまちづくりを3本の柱として要求を組み立て、②③については1999年10月8日付提言、2000年5月31日付提言を基礎に幹線道路周辺対策だけでなく、川崎区、幸区全域を視野に入れて文字通り「環境再生とまちづくり」の課題を政策化してその実践を継続している。他方、①については成人のぜん息患者の医療費救済が川崎区、幸区(公害健康被害補償法の旧指定地域)に限られていたのに対し、全市に拡大する自動車排ガス汚染の実態に対応して、医療費救済も「全市全年齢」に適用するよう求めた取り組みを展開している。
1. 医療費救済条例の成立
10万署名(2回分)を基礎に2年有余にわたって取り組まれてきたこの闘いは、昨年の12月議会で「平成18年度内」の成立ということで市議会の意見も市側の考え方も一致し、今、条例化の作業が進行している。 但し、被害者側は、今次予算議会での条例の成立と4月1日からの実施を求めているのに対し、川崎市は、その成立時期を遅らせようとしており、いつの時期から実施させるかが、現在における最大の争点となっている(この外、一部自己負担の導入問題あり)。
ともあれ、川崎での闘いは、この条例により全市的な医療費救済を図り、その上で生活補償費等の救済については、公害健康被害補償法の制度を自動車排ガス汚染の実態をふまえて再確立させる必要があり、そのためには東京大気裁判の勝利が必須と位置づけ、従来ともすれば十分には力の入っていなかった東京大気裁判の100万署名とその裁判支援に力を注ぐことを再確認している。
2. 国道15号線の環境対策
国和解に基づく約束のなかで最も実践的に進行している課題に国道15号線の環境対策がある(ちなみに、産業道路の環境対策としては、片側1車線のそれぞれの削減と緑化対策が完了)。
その工事は、六郷大橋からハローブリッヂまでの第一区間の先行的工事につづき、第4、第3、第2区画の工事が開始されている。
この対策は、幅広い中央分離帯を削り(但し、第2~第4区間)、その余った分を両側に配置し、歩道を拡げ、その歩道を自転車道と歩道とに区分けして車道端、歩道と自動車道との間に緑化対策を講じるというものである。
同時に歩道の随所にポケットパークを新設し、あわせて稲毛公園周辺は、道路と稲毛公園と稲毛神社(さらには川崎中央郵便局側も)とを一体化して環境対策を実施しようということで進んでいる(川崎公害裁判の記念碑も建立予定)。また、旧川崎警察署前交差点の緑化対策も視野に入れている。
かくして、川崎公害和解の実践として国と原告団・弁護団等による「道路連絡会」の討議を通じて最もスムーズにこの対策は進んでいたが、ここにきて第2~第4区間における植樹に高木が少なく、かつ車道端の高木が(中木すらも)ない工事計画が、連絡会の討議を無視して開始されていることが発覚し、その是正を求める闘いが激しく行なわれている。
3. 自動車走行量の総量規制をめざして─大気汚染の改善のために
国和解の中心をなすもので、尼崎あっせんをうけて、ようやく川崎においても具体的に進行するところとなった。
その基本は大型車のナンバープレート規制、車線制限(大型車の乗入規制)とロードプライシング(幹線道路利用への課徴金制度。住民地域への流入に課徴金を導入し、非住民地域の湾岸部へ自動車乗入を誘導する制度)の導入で、そのための社会的調査として、事業所、ドライバー等への「大型車の交通量削減に関するアンケート調査」が実施されようとしている。
現在、国交省(川崎国道事務所)は尼崎調査に学び、川崎でのアンケート調査の項目を検討しているが、川崎での対象道路が高速横羽線(1階が産業道路で車線削減済み)と高速湾岸道路だけでなく多岐にわたるため、そこでの前記対策を具体的にどう考えてゆくのか、それに対応するアンケート項目をどのように組み立てるのか、悩ましい問題を抱えつつ、今春にもアンケート内容を確定させ、そののち直ちにアンケート調査を実施させるべく、そのつめの交渉が精力的に行なわれている。
4. 国道1号線の拡幅問題
川崎公害和解の「実践」と称して、交通渋滞の解消のため、国道1号線を拡幅するとして50年前に決定された道路計画が突然浮上し、(これに沿道法悪用も加わり)、ここ3年有余にわたって拡幅反対の運動が沿道住民を中心に取り組まれてきた。
国交省(横浜国道事務所)は渋滞解消のためには拡幅は絶対的課題との堅い姿勢を貫いてきたが、昨秋以降の交渉のなかで、東京-川崎間の交通量と東京-横浜間の交通量の具体的な比較検討を通じて(東京・横浜間の交通量より、東京・川崎間の交通量の方が1万台多い。従って、横浜地域の拡幅は不要だが、川崎地域の拡幅は必要というのが国の論理)、川崎地域内の交通量、とりわけ大型車の走行量を交差点(三差路を含む)毎に、各方向毎に詳細な調査を行い、その上で事業所等へのアンケートを実施し(前記3参照)、事業所協力をえる工夫をすること、交差点構造の改良、改善工事の実施による交通渋滞策をはかること、交通規制、信号調整等により同様の対策を図ること等が道路拡幅よりまずもって検討されるべき、という住民側の主張に対し、国交省も数次にわたる交渉でようやくこれに同意し、現在、道路拡幅を棚上げした上での前記諸対策の検討を約束するところとなった。
沿道住民側は、幸区全域の市民の納得と同意を得るため、沿道の環境対策はもちろんのこと、国道1号線とこれに連なる道路及びその周辺地域、公園その他の緑化対策を含む幸区版「環境再生とまりづくり」の提言作りをめざして今、奮闘している。
5. 高速川崎縦貫道の問題
新たな公害発生源となる高速川崎縦貫道建設は、「まち壊し」との強い批判をうけ、建設当時から地域住民の反対にあったが、その事業は反対を無視して進行してきた。
しかし、その計画は、現在においては完全に見直しを迫られ、即時に中止すべきものとなっている。
6. その他
被害者側は、まちづくりの基本に「トランジットモール計画」などの対策を掲げ、地域密着型のワン・コインバスの導入等公共交通機関の重視を訴えてきた。 そのワン・コインバスも川崎駅-川崎市立病院間で運行が開始され、川崎北部地域への発展をみるに至っている。
自転車ネットワーク作りも端緒的ではあるが川崎市がその計画案を作り、また、これに連動する課題としての駐輪場対策も川崎市との間の数次にわたる現地共同調査の成果として前進し、また、自転車付置義務条例も不十分さを有しつつも成立した。
地下街アゼリアの使い勝手の悪さの改善も若干進み、川崎駅前の歩行者優先対策もさいかや前交差点の完全スクランブル化、旧こみや前の三方向スクランブル化(完全スクランブル化には至っていない)、川崎駅前から地下をくぐらずに平面移動できる横断歩道の設置も、その実現のための社会実験も実施された。
東芝移転後の西口再開発とこれと連動しての東口駅前広場、バス乗り場の見直し、移動も実現の射程に入ってきた。
この時期において、被害者側が提起した川崎駅東口、北口、西口の一体的まちづくり計画の実践が現実的に追及される必要性はますます大きくなっている。
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